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1.10.18

陸と水の間*ラヘマー国立公園

ラヘマー国立公園はエストニアの首都のタリンからバスで30分ほどの場所にある湿地帯を含むエリアである。
ちょうど湿原の成り立ちや生態系について学んでいたところだったので、バルト海沿岸の湿地帯を間近で見ながら空気を感じてみたいと前々から思っていた。

エストニアは国土の約4分の1が泥炭地(peatland)で構成されている。


ラヘマー国立公園はソビエト連邦時代の1971年に初めて登録された国立公園で、陸地域474km²、水域251km²を合わせた725km²から成る。

公園内は70%が樹木で覆われるが、植物相としては針葉樹林が多くを占める北方樹林(boreal forest)とミズゴケ類(Sphagnum属)を優占種とする苔類、その上でも生長の可能なエリカ(heather)やベリー類の低木類など、それほど豊かではない。




湿原は生態学的、あるいは水文学的な水の循環システムからの観点、地形学的な側面からいくつかのタイプにカテゴライズされるが、一つの湿原でもエリアや微小地形の差異によっていくつかのタイプの集合体からなる場合が多く、一つのカテゴリーの中でその湿原の特徴を包括させることは難しい。

今回歩いた遊歩道周辺のヴィル湿地は地形タイプとしては高層湿原(Hochmoor, raised bog)に当てはまり、水源は多く雨水に依存するために栄養は乏しく(oligotroohic)水質は酸性を示す。
歩道の脇にある水淵を眺めてみると肉眼でもそのために水が赤く見える。日本語でも親しみのあるモール(Moor)温泉の色である。

スタート地点からしばらく遊歩道は地面が比較的乾燥している北方樹林帯の中にのびる。
ここではヨーロッパアカエゾマツが優先し、地面にはタチハイゴケ(Red-stemmed Feather-moss, Pleurozium schreberi)やイワダレゴケ(Stair-step moss, Hylocomium splendens)などの苔類に、エリカ(heather)、コケモモ(Cowberry, Vaccinium vitis-idaea)、ブルーベリー(Bilberry, Vaccinium sp.)などのベリー類の低木類、加えて晩秋であったためにもう様々なキノコが顔を覗かせて地面に彩りを添えていた。



エストニアの他の国立公園と比べると、ここまではバスも日に数本通っていてアクセスは良いほうだといえる。ただし、観光バスの団体の2グループとは出会ったが、個人で訪れている旅行客は極めて少ない印象を受けた。
遊歩道は約5.5㎞から成り、湿原の上は木道が敷かれている。案内板も設置されているので迷う心配は極めて少ないと思う。

今回訪れたハイキングコースについてはRepublic of Estonia Environmental Boardの作成しているPDFが詳しい(https://www.keskkonnaamet.ee/sites/default/public/viru_raba_ENG.pdf)。
駐車場はあるが、売店のようなものはないので個人で訪れる場合はそれなりの飲食物を携帯したほうがよい。

………………

今残っているヨーロッパの湿原のうち、60%ほどはかつての泥炭の集積能力を失っているといわれる。消失の最大の要因は農耕地としての利用である。
特に、降水量が年間を通して均等に適度にある温帯地域で多く見られる湿原タイプ(Percolation mire)は、今日多くの場所で農耕・放牧地として利用されている。
さらに、今回訪れたような栄養分の少ない湿地タイプも流入する水の富栄養化からそのタイプを変化させていく傾向にある。

富栄養化していくとどうなるか。
一般的に栄養分の多い土地では繁殖能力の高い種が増える傾向にある。栄養分が少ない土地で繁殖能力と引き換えに生き抜く能力を身につけた植物たちは徐々に姿を消していく。
肥沃な土地、というのはあるところではポジティブな響きを持つけれど、多様性の観点から見るとマイナスな作用を及ぼすことになる。
特にヨーロッパでは貴重種といわれるものの多くは湿地や貧栄養の土地に息づく植物たちである。

「湿原からはすべてを学ぶことができる」という言葉は湿原の見方を変えさせてくれた方の受け売りである。
連続して続く空間をカテゴライズすることの難しさ。人間の力で管理することの意義と危うさ。一見意味の無さそうな空間が、果てしない月日を超えて私たちの生活に大きな影響をもたらしていることを深く考えること。

今まで、手つかずの自然景観といえば森をイメージしていたが、湿原という存在を少し踏み込んで学ぶことを通じてその固定観念はだいぶ変わる。

人生の一時期を湿原の近くで過ごしてきた。
当時から自然の中で過ごすことが好きだったにもかかわらず、正直なところあまり湿原に特別な魅力を感じたことはなかった。

一見意味の無さそうで退屈な空間。
はたまた、苦しくてもがきたくなるそんな空間にいる時間も。必ず前後左右に、また過去から未来に繋げられている一つの地点。
きっと「湿原」だけではなく他のことからもそんなことを考えることはあるのだろうけれど。

どこまでも続く水と陸地の狭間が織りなす、「均衡」を感じる空間で、自分という存在が、今この瞬間に立っている「均衡点」について感じ、思いを巡らせる。

15.4.17

白亜の断崖とブナの森*リューゲン島


ドイツの北、バルト海に面したところにあるリューゲン島。
古くからの保養地・観光地であり、1990年にドイツで最小面積の国立公園として登録され、2011年にはそのうちの一部のブナ林が世界自然遺産に登録されている。

日本には白神山地がブナ林として登録されているが、そのころはヨーロッパで極相植生として一般的なブナ林の存在の貴重性が見直されていた時期だったという。

ちょうど白神山地が世界遺産に登録されたころに感受性の高い子供時代を過ごしていたせいか、そのブナ林の美しい姿を東北の神秘的な信仰文化とともにメディアを通してに触れることも多く、一度は訪れてみたいという気持ちをずっと持っていたが、ついに叶わず、先にヨーロッパの方のブナ林を目にすることになった。

駅から出るバスに乗り降り立った森を目にした初めの印象は、自分が想像していたよりも鬱蒼とした感じはなかった。ただ、これには大きく訪れた季節も関係しているだろう。
スプリングエフェメラルと呼ばれる類の植物たちがちらほらと咲く他は林床の植物は少ない。


特にベリー類の低木や日本の笹のような草本類がないのが、まるで誰かがあらかじめ整備したような景色で、初めて目にするものとして少し奇妙に見えた。
ヨーロッパの大部分はその昔ブナ林だったと考えられている。今のように開拓が進んでいなかった時代の風景を想像してみる。

童謡の中では暗く何か魔物のようなものが住んでいる場所として描かれることの多いヨーロッパの森。
日本の生い茂る森とはやや異なるが、その整備されたような林床の美しさが、かえってどこかその不気味さに通じる空気を作っているように思えた。


あらかじめ知っていた光景だとは言え、日本人の私にはどうしても驚かされる、はっと息をのむ組み合わせの白亜の断崖とブナ林。
カスパーフリードリッヒが見事な構図で描いた絵画が有名だが、どの構図から見ても強烈に目に焼き付けられる景観だった。


海抜で平均約100mの高さからなるリューゲン島の白亜の断崖は、その名の通り、白亜色と呼ばれる白のチョーク色なのはもちろんのこと、今から約1億4500万年~6千500万年前の白亜紀のうちの後期(約7千万年年)に形成されたものである(Nationalpark Jasmund: http://www.nationalpark-jasmund.de/index.php?article_id=97 より)。
白亜紀といえばパンゲア大陸の分裂によって新たな大陸の形成が進み、恐竜などの爬虫類が地球上で優占していた時代である。
極地の氷は存在せず今の気候よりだいぶ暖かかったらしい。だからなのか、個人的には白亜の色からはなんとなく暖かい地方のイメージが湧 く。

1億年近い時間幅の中で形成されたといわれてもなかなかピンとはこないが、古生物や歴史を感じながら歩いてみるとまた景色の見え方も変わるだろう。
白亜自体が古生物の遺骸から形成されたことからも想像できるように、化石を集めるのにもヨーロッパでは有数の魅力的な場所である。


少し歩いていくと少しずつ暗くなっていく森。
まだ芽吹きだしてそう日もたっていないので、おそらく葉が茂ったころはだいぶ薄暗くなるのだと想像する。
途中何組かの旅行者ともすれ違うが、日本の国立公園と比べるとはるかに少ない数だろう。


警告看板はあるものの、柵は展望地を除いて設置されておらず、自己責任という言葉が頭をよぎる。断崖付近にはいつ重力に引っ張られて行ってもおかしくない、宙に止まったままの倒木もあり、脆い地盤であることは容易に想像できる。

私たちが生きている時間では起こりえないであろうが、次の一億年後にはこの島はもうなくなっているのかもしれない。
自然なサイクルで生じる環境変動と、人によって拍車のかかる環境変動と。
当たり前だと思っている目の前の風景と人の時間軸を時々照らし合わせてみて考えること。

25.12.16

神話の世界*エフェソス・トロイ

自分の中での歴史の時間軸というのは誰にでもなんとなくあるものではないかなと思う。

私の場合は、ヨーロッパのそれをつい最近まで割と遠いところに位置付けていたので、ベルリンのペルガモン博物館で初めてその壮大な遺跡を間近で見たのは、その時間軸が大きく揺さぶられる衝撃的な機会だった。

それらと比べると、それまでの数年間で初めて日本を出てヨーロッパでとても昔のものと感じてきた建築物たちがいかに新しいものと感じることか。そして、そのような果てしない時代を超えて目の前にあるそれらの彫刻に、遠い時代に生きた人々たちを想像する。

トルコへの旅を考えた大きな理由の一つがその時の経験だった。
広大な国土のためにそのすべてを回ることはできない中で選んだ二つの遺跡。
エフェソスとトロイ。


トロイ遺跡はドイツ人考古学者シュリーマンが、、ギリシャ神話の『トロイの木馬』を歴史の事実として“こちらの世界と繋ぐこと”を夢見て発掘にこぎつけた、なんとも研究者魂を体現したような誕生秘話のある遺跡である。


周りには全く何もない野原の中の丘にある規模としては小さな発掘地。
それでもこの遺跡が持つ意味は、その神話や発掘までのストーリーを知ってしまうととても大きく感じる。



エフェソス遺跡はトロイと比べるとかなり大規模で一つの街である。
遺跡巡りに慣れていない私にとっては、道端にごろごろとそのままに転がっているそれらの一部も印象的だった。
野外博物館というよりは、あまりにも現実感が無くてむしろテーマパークのように思えてしまう。
それでも青い空と白い遺跡の数々。

 
 
 


やはり遠い異国の箱の中で見るより、そこにあるがままを見るということは、遥かに感ずるものがあった。




トルコでは観光地には猫である。
遺跡と猫。少し奇妙な組み合わせではあるが、穏やかな今と古代がここで平和に繋がっていることのひとつの象徴のような光景だ。

今この瞬間、人類の歴史を多く育んできた近隣の長い歴史を持つ地域では、今の平穏と神話の足跡が同じように破壊され続けている。
そうやって人の力や、あるいはそうでなくても自然の力で過去の遺物は壊されていき、その後の時代へと繋がっていかないものの方がこの地球の上にははるかにたくさんあるのだろう。







目に見えるもの、形あるものはいつか必ず終わりを迎える。
大切なものは心に刻み記録していくこと。
そういう風に生きていきたいと思った。

23.2.16

静かな霧と琥珀の街*グダンスク


到着したのは午前6時。
街全体は暗闇と深い霧に包まれていた。

夜明け前のグダンスク駅前


その昔はドイツの占領下でDanzigと呼ばれていた街、ポーランド・グダンスク。
Ostsee(バルト海)に面したこの街は古くはハンザ同盟都市として栄えていたそう。
街の大きさは一日あれば十分歩ける大きさだろうか。



浜辺までは旧市街地から歩いて1時間半ほど。
運河沿いを歩くと霧の中の印象的な日の出を眺めることができた。
霧の向こうには青空が見えるから不思議な感じだ。
どこかで異世界に迷い込んでしまった気分になる。

浜辺まではトラムでも行くことが出来、夏場は多くの人で賑わうそう。

旧市街地の中心部


ライトアップが美しいネプチューンの泉

グダンスクは、タイムスリップしたような感覚になるパステルカラーの旧市街も有名だ。
夜まで治安も良く、様々な国の影響を受けた料理や土産物の並ぶ商店での買い物も楽しめる。



そして琥珀の街でもある。

琥珀の装飾品
 
琥珀博物館では、琥珀の成り立ちからモダンな装飾品までが並んでいた。
琥珀の生成の仕方や部位の違いによって形状や色がだいぶ異なるのだそう。
それを寄木細工のように組み立てたそれらは、個人的には自分の琥珀の見方を変えるのには十分だった。

小さい頃、お土産にもらった蟻の閉じ込められた琥珀の首飾りのことを思い出した。
約4,000万年という途方もない歴史の彼方に生きていたものの遺産と思うと、
ここにいる自分や、目の前の世界の存在をあれこれと考えてしまう。


琥珀の流れつくこともあるという少し黄味の強い砂浜に腰をおろしながら眺める静かな波間は、
3次元にも4次元にも心を揺らす。

29.9.15

心地よい陽気の街*ザグレブ

10月から11月にかけての約二月、私はクロアチアの首都ザグレブで生活していた。
旧ユーゴスラビア諸国は約20年前にできたところが多く、なんとなく治安の面での不安があった。


けれど、実際に来てみるとその不安はほとんど解消された。
日本と違い、ヨーロッパ諸国では大都市圏の駅前は街の中でも治安が悪いエリアであることが多いのだけれど、ザグレブを歩いたときは全くそういう印象は受けなかった。

 
駅前からグリーンベルトの公園が中心部のドラツ市場まで続く。


ドラツ市場は観光客や地元の客でいつも賑わっている。
日本人にとっては嬉しい、マグロを始めとするたくさんの種類の魚や肉など何でもそろう。
どれも鮮度がいいので刺身にもできるのがまた嬉しい。
 

一応イワシのパックだけどよく見るとアジが混ざっていたりするクロアチアクオリティ。それがまた良い。


とにかく果物がおいしい。私の大好物のイチジク。紫のものと緑のものがある。
 

 
 
そして、もうひとつクロアチアで忘れてはならないのがビール。
中でもTmislavはアルコール度数がちょっと高くて飲み応え抜群でおすすめ。
また、ワインもいろいろあり、ソムリエのいるスーパー(!)で試飲もできたりする。
ピルスナーが好きな方にはドラツ青果市場地下で売っている脂身の揚げたものがぴったり。
身体に悪いのは間違いないのだけど、日本人の味覚にぴったり合うのも間違いない。

 
 
 
首都ではあっても郊外はとても長閑。
青い空の美しさがとても印象的で、歩いて散歩をするのが本当に楽しい。
現地の人に話を聞くと、内戦があったこともあり、人は少し用心深いというけれど、
日本人と比べればそんなに…という感じ。
街中はトラムが走っていて、その溝にはまりそうだったり、トラムに轢かれそうになったりで、私は自転車で走るのはちょっと苦手だったけれど、慣れればそんなこともないらしい。

 
 
携帯会社は常に30分以上の順番待ち。家庭用の導入は約一か月待ちだ。
とにかくものすごいスピードで発展を遂げている街、そんな印象を受けた。
そして、ようやくEUに加盟したことでそれはさらに加速していくことだろう。
 
先に加入したお隣のスロヴェニアとは似て非なる国民性ははっきりと感じられた。
あと何年か後に再び訪れたい街。
クロアチア。ザグレブ。


16.9.15

ワインが生み出す空間*札幌

札幌の秋の風物詩となりつつある、『さっぽろオータムフェスト』。
中心部の大通公園で半月に渡って開催される、北海道の味覚が一堂に集結するイベントだ。
 
 
なかでも私が気になっていたのは、北海道が生むワイン。
北海道では温暖化の影響を受けて、年々ワイン用ブドウの栽培がしやすくなってきているそうだ。
品種としては白はドイツのケルナー、赤はオーストリアのツヴァイゲルトなどが主流のよう。
 
 
他の国産ワインよろしく、やはりヨーロッパでのワイン祭りと比べてしまうとなかなかいいお値段なのだけれど、
これだけの期間に、これだけの種類を楽しめる立ち飲みバーが設置されるというのはすごいことではないだろうか、と思う。
 

 

 ヨーロッパで出会った、「ワインが身近にある空間」は私にとっては衝撃的で、
日本で持ち続けていた、ヨーロッパの手の届かない高級感が良い意味で崩れた瞬間でもあった。

日本でもワインは徐々に広まって、最近ではバル(なんでスペイン語なのだろうといつも思う…)も増えて気軽には飲めるようになってきてるとは言っても、
日本酒やビールと比べるとまだまだ高級品でおしゃれなイメージが強く、ある種のステータスにもなっているように思う。

価格が変動しない以上、なかなか価値観を変えることは難しいのだろうけれど、
ワインには他のお酒にはない、空気を滑らかにする特別な魅力があると私は思っている。

優雅、特別、上品、お洒落。
決して悪い言葉ではないのだけど、もっと身近な優しい言葉が似合う魅力が。
大げさだけど、日本人に足りない何かがそこから生まれるのじゃないかなんておもってしまったり。

余市・ツヴァイゲルトレーベ&道産素材を使ったペスカトーレ

ドイツ・リースリング&道産チーズ

十勝・清見、山幸&ミュンヘナーヴルスト、ザワークラウト
 
ワインの歴史はまだまだ浅く、質も量も磨かれていくのはこれからなのだと思う。
 
でも、ワインを取り巻く環境が特に北海道には豊富にそろっている。
多くの食材と、何よりも物理的に大地を感じる広大な空間。

このお祭りにはそんな魅力的な空間のカケラがあるように思う。
それがなんだか今の私はすごく嬉しかった。



6.3.15

美食の街*リヨン


フランス第二の都市、リヨン。かつては絹で栄えた商業都市。
街はセーヌ川とローヌ川の二つの川に分断された3つの地区からなる。

美しいのはやっぱり川沿いの手工業の街並み。
どこかの絵でこんな風景を見た気がする。
パリのベースの色が白ならば、リヨンの街は淡彩色だと思う。

 


この街、名物のクッスンをいただきながらエスプレッソを飲んだ。
日本の和菓子を食べながら抹茶を飲んでいる感覚になるから不思議だ。

同じヨーロッパでも隣り合うドイツとはちょっと違う。
ドイツならば大きいケーキに伸ばしたコーヒーが合う。
どちらかが良いわけではなくて、おしゃれなわけではなくて、
そこの空気ではそれぞれが居心地よくさせる気がする。



美食って何だろう。

同じ価格帯なら、美しさというものなら日本のほうがきっと素敵な料理とサービスが出てくるに違いないと私は思う。

でも、美しい時間というのならどうだろう。
地元の大地を感じる時間をこんなに楽しむことが出来るだろうか。
気取らないけれどかけがえのない時間を楽しむことが出来るだろうか。

食でも、人でも、美しさは本当に奥が深い。
でも、全てが明確ではない部分の味わい。隠れた部分があるからでこその味わい。
それが本当の美しさなのかな、と思う。

7.2.15

氷の街*釧路

日本の東北の果て最大の街、釧路。
かつては炭鉱と漁業の街として栄えたそうだが、今はどちらかというと道東の観光拠点というイメージが強い。


北海道の中でも特に冷涼で、夏でも25度を超える日は珍しく、避暑地としてにぎわう。
一方で冬場は他の場所と比べるとそれほど冷え込まないのだが、冬は寒いだけという印象が強いらしく、観光客はぐんと減る(これは北海道の他の場所にも言えることだが)。

 
街を見るのなら、私は冬の釧路のほうが好きだ。
その理由は街の中に溶け込んでいる釧路の建築物にある。
毛綱毅曠(もづなきこう)設計のフィッシャーマンズワーフ、市立博物館、市内のいくつかの校舎はじめ、幣舞橋上の四季の象などがそれだ。

これらから受けるのは、城や銀行、商館などといった経済や権力の盛衰の流れを強く考えさせられる過去の繁栄の遺産とは違う、どちらかと言えばバルセロナのガウディの作品群に近い、時代を超えて大地に作品を根付かせようとする作家の表現力を追求する強い姿勢だ。

雪や氷に他のものが覆われることで、それらはより強い主張を訴えかけるように感じるのだ。
それは、人のそばにあるのに、今の人の生活とは一線を画した特別な空間を創りだしているように感じる。

 

3年間過ごしたこの街には、例えば同じ道東にある、知床のような現生の自然を感じさせる圧倒的な景色はない。
むしろ、人の生活風景がそれを凌ぐ、道東の生活圏の中心となる大きな都市である。


けれど、氷に閉ざされどんよりと曇る冬空のもと、自然と人の手によって創られた創作物との絶妙な組み合わせが、ふとまるでここではないどこか別の世界に誘ってくれるような雰囲気を孕む、日本最北の芸術の街だとも思ってる。

夜の釧路川の闇と蓮氷の淡く光に照らされるオレンジに、吸い込まれ酔わされる。

18.10.14

青の湖群と森の世界遺産*プリトヴィッツェ湖群国立公園


暖かいクロアチアにも少しずつ秋は近づく。
ふと目をやれば、ザグレブの街中でもツタが赤く染まってくるのが目に留まり始める。

もうそろそろかと思い、秋になったら行きたいとかねてより計画していた、
ザグレブからバスで2時間半ほどの場所にあるプリトヴィッツェ湖群国立公園へ出かけた。

世界自然遺産に登録されている国立公園で、最近ではアジアでも知名度が高く、
最盛期は大変な混雑になるそうである。

 
この日はそこまででもないと思うが、アジアからの団体客をはじめ、
世界中からの観光客で船着き場は賑わっていた。

 
場内は入園料で船やバスを自由に乗り継ぐことができる。
個人的にはバスも船も国立公園にとても合ったつくりをしていて
(船はエンジン音がほとんどせず、水面もほとんど波立たない、
バスは天候に左右されず乗りやすい作りをしている等。)、
とても感心した。


紅葉の具合は思ったよりもすすんでいなかったのだけれど、
いくつかのポイントでは写真のような紅葉と森と湖との図を切り取ることができた。


増水のため、いくつか通れない道もあったけれど、見たい構図はたっぷり楽しめた。
今回利用したのは行きがザグレブ8時40分発、帰りがプリトヴィッツェ16時45分発のバス。
これで多少端折りながらも、体力のある人ならば十分に満喫できると思う。

昼食はバスターミナルで確保がおすすめとされることが多いが、
園内のセルフサービス式レストランは料金も手ごろで、
日本人の口にも合う料理が楽しめる。
この日は暑かったので、レモンの入ったOzujskoのラドラーがとても美味しかった。


透き通るような水の中に泳ぐ、たくさんの魚の群れも見ることができる。
ただし、本来いるべきマスはわずかで、ほとんどはコイの仲間だ。
もちろん禁止はされているのだがエサをやっているビジターも多く、
それが要因の一つでもありそうだ。
エサやりはにほんの文化だとばかり思っていたが、どうやらそうでもないらしい。


世界自然遺産にはユネスコが定める4つの登録基準があるが、
プリトヴィッツェ湖群国立公園は、そのうち以下の3つが評価根拠となっている
(UNESCO World Heritge Centre : http://whc.unesco.org/en/criteria/)。

(7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
(8) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の
  発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれ
  る。
(9) 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重
  要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。

かみくだけば、
(7)自然美と景観美が素晴らしい
(8)地球の成り立ちを示すものがある
(9)豊かな生態系ネットワークの存在してる
といった感じだろう。

それを頭に入れて改めてこの公園を見るのもまた興味深い。

でも、私にとっては初めて歩いたときの自分の感覚が、いつだってその場所の評価基準だ。
一番は、一年を通してまた来て見てみたいと思える場所かどうか。

そして、間違いなくここも、また違う光に包まれた瞬間を見てみたいと思える場所だった。


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追記。

ちなみに、もうひとつの基準は、
(10) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいる
  もの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れ
  のある種の生息地などが含まれる。

つまり、
(10)希少種が存在している
ということ。
また、日本の自然遺産はそれぞれ、
白神山地では(9)、知床では(9)(10)、屋久島では(7)(9)、小笠原諸島では(9)
が評価根拠になっている。