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12.9.21

一人+行き交う人々*クングスレーデン・ラップランド②

 クングスレーデンには2つの道があるけれど、私が選んだのはそのうちの北のもの。

そしてその中でも10日間ほど取った休暇内で歩き通すことのできるNikkaluoktaからAbiskoまでの行程。7日間きっかりの旅程で計算したのは模範的な旅行者ではないけれど(1-2日程度の予備日を取っておくと精神的に楽で望ましい)、Interrailチケットでの旅だったので、もしどうしても無理だと思ったら3日目の行程で引き返そうと考えていた。

夜行列車と普通列車を乗り継いでたどり着いたのはKirunaという炭鉱の町。炭鉱を広げるために街ごと移動したという奇妙な歴史のある場所だ。

 

北へと向かう車窓からの眺め。色づいた広葉樹林の合間に時々湖が見える。

夜行列車から乗り換えてKirunaまでの道中で、近くにいたアルメニア人とインド人と知り合う。

アルメニア人の方は乗り換えのプラットホームでおもむろに近寄ってきた。どうやらある程度の年齢コードに引っかかるすべての人に声をかけている模様。最初の第一声は君が夜行列車に乗っているなんて知らなかったよ!なんで今まで見つけられなかったんだろう―

話を聞くと交際していた女性と肉体関係を持ったために、女性の家族が雇ったマフィアに追われている―というなんとも日本であれば江戸時代あたりの話か…と思ってしまうような背景を持つ20代後半の男性。半信半疑で話を聞いていたら、日本のヤクザと同じなんだ。居場所が見つかったら殺されるんだ―と。最初はイタリアに渡り、しばらくしてドイツへ。でも同じ飲食業でも北欧では圧倒的に賃金に差があることを知り、遂には北欧の、それもスウェーデンの最北の街のKirunaで働こうと決心してはるばるここまでやって来たという。

仕事はもう見つけているのかと尋ねると、これから探す、と言う。こんな北の街で屋外に放り出しておく人間はいないだろう、と。服装は半袖のTシャツに持ち物は小さなデイバックのみで、地中海地域からそのままやって来たようない出で立ち。まず列車から降りて街まで歩くのに大丈夫だろうか、とやや心配になる。が、社交辞令としての同情を示すだけでも、完全にお互いの距離感が違う位置で次の会話へと進んでいきそうになるのを感じたので、列車の乗り換えで指定席になったのを機に、幸運を祈って(I wish you good luck in your new life!)お別れをした。押され気味で交換したSNSを時折見てみると、彼の思惑通りどうにかやっている様子。

そんな最初の奇妙な旅でのめぐり逢いを終えて指定席に座っていると、一駅ごとに増える増えるスウェーデン人のトレッカーたち。列車内の網棚はトレッキング用の大きなバックパックで埋まっている。斜め向かいに座っているのはどうやらフィンランド人のカップルで聞きなれないメロディーで会話をしている。お、キートスは私も知ってる単語。女性の方は私と同じメーカーのトレッキングシューズを履いていて、あまり知らないので悩んで買った海外メーカー信頼を少し得られた。あまりにもその二人の飲むコーヒーが美味しそうだったので、たまらずにコーヒーを買いに行く。戻ってみると、ちょうど別の主要なトレッキングコースの出発点近くにある駅を通過したのか、大乗客は減っており、2人も空の紙のコーヒーカップを残して居なくなっていた。


 フィンランド人のカップルと、向かいには後に話をすることになるインド人のデイバック

 

インド人の方は、その前の込み合っていた時点から向かいに座っていた20代前半の男性で、日帰りの散策に行くにしても少ない荷物だなあ、となんとなく思って眺めていた人物だった。 膝の上には黒いデイバックが一つだけ。周りの人がいなくなったのをきっかけに、なんとなく、どこへ行くのかと尋ねてみる。目的地は同じくKirunaだった。けれど、彼はLuleåで交換留学生をしていて、その前学期に滞在していたイギリスから引っ越してきた後に使っていた残りのInterrailチケットでフラっと北に行く電車に乗ってみたのだという。ああ、Luleåは確かラップランドへと向かう列車の分岐点となる駅で聞き覚えがある。聞けば私が以前に訪れたことのあるスロベニアの首都リュブリャナにも滞在していたと言い、頭に浮かんでくる思い出について色々と話した。竜のオブジェが素敵だよね。あぁ、またいつの日か行けるだろうか。街中を流れるリュブリャニツァ川とその川沿いに連なるカフェ。入ったお店で日本人の女性に声をかけられたと思ったら、エホバの証人の会員の人で延々と話を聞かされたっけ…。2回目に行ったのはクロアチアのザグレブに住んでいた時。当時雇ってもらっていたオーナーさんに連れられて、アイスを食べにリュブリャナへ。いつも比較のために食べるレモン味のジェラードはとても美味しかったと記憶してる。あの時も川沿いの雰囲気がとても印象に残っている。庶民的な賑わいのあるザグレブのマルクト近辺とは違った、整った美しさのある中心部だった。

インド人と聞かなければ分からないほど癖のない英語で私にはとても助かったし、私が英語は実は苦手であることを話すと、こうやって会話ができるなら全てOKだよ、と言ってくれる言葉にほっとした。つい2週間前に引っ越してきたばかりだという彼は、今から長い夜の冬が少し心配だ、と話す。そんな言葉にいつまでも続く極夜のスピッツベルゲンの話をする。別の世界に生きている感じだよ。でも髪の毛が抜けるからビタミンDを取って、時々強い光には当たったほうが良いよ、と。Kirunaからバスに乗ってNikkaluoktaへと向かうバスへ乗る私と、街や教会を見る予定だ、という彼はバス乗り場のところで別れた。彼もアルメニアの先の彼と同じく美しい雪景色の中で友達と笑顔でいる写真を載せていたので、きっと元気にやっていることだろう。いくつもの都市に住んだ経験のある彼ならもともと大丈夫だとは思っていたけれど。 

 

とても新しくて清潔ではあったけれど、なんだか工業地帯の端に付け足されたようなKirunaの駅でバスに乗り換えて、ここからはNikkaluoktaへと向かう。念のためにストックホルムで両替はしていたけれど、インターネットで買っていたチケットもスマートフォンの画面を見せたら大丈夫で一安心。

さて、バスの終着地にはどんな光景が広がっているのか。

30.3.20

手の届く広さの世界の季節の移ろいと*閉ざされる街



2019年の年末から世界では疫病が流行して、私たち人間たちは多かれ少なかれ、今までの生活をしばらくの間ある程度変えざるを得なくなった。
 しばらく間、 というのがどれくらいのスパンなのかはおそらくこの地球上の人間の誰も分からない。


私の過ごしていた街でも公共施設が閉まり、飲食店が閉まり、小売店が閉まり、他地域との境界線もついには閉ざされた。
私は自動車も持っていないので、普段の週末休みに越境することなどは滅多にないのだけれど、人間というのは不思議なもので、制限される生活空間を言い渡されると焦燥感に駆られたり閉塞感を覚えるものなのだ。

例えば多くの国境が閉まる前、私は今夏のハイキングの計画を無意識に急いて立てようという衝動に駆られたり、小売店が閉まる前にはもう少しのところで割引になっていた一人用テントを買うところだった。

日中を自分の部屋以外の屋内で過ごす日課を送っていた私は、それ以前はたいてい徒歩や自転車で行くことが多く、それが日常の中でのいわば自己と自然空間とをつなぐ意識を整えるような時間になっていたのだが、それを不意に失ってしまった私は無意識のうちに、以前の生活のそれ以上に外の世界へ助けを求めて出てゆく時間が多くなった。
幸いにも住んでいた部屋は隣に一つホテルがあるだけの工業地帯近くの人気の少ない立地で、犬の散歩やジョギングに来る数人を除けば、感染の危険性がほぼなく気の向くままに歩き回れるところだった。


季節は春に向かう時。日照時間は日に日に長くなり、鳥の鳴き声は日ごとに大きくなる。
迫ってきた不確かな未来を目の前にまず私が思ったのは秋ではなくてよかったということだった。
北半球の比較的高緯度に位置するこの街は、夏に向かって急激に日照時間が長くなる。時には体調を崩す人もいるほどだ。私自身も数度この季節を経験してもいまだに慣れることはできない。年間の日照リズムというのは人が思っている以上に体内の大切なところを司っているのではないかとも思う。


初めて白夜を経験した時を振り返ってみてもそうだ。
初めの数日間はその新鮮な感覚を楽しんでいたけれど、期間が長くなるにしたがって、体のどこかしらにいつも疲れを感じるようになって暗闇を無意識に探すようになった。
極夜はそれよりもさらにダメージは大きかった。夜空に浮かぶオーロラがなければ私はそれを乗り越えることができたか分からない。数週間ぶりに陽の光を再び見た時、世界はなんて美しいのだろうと思った。
どちらも、きっと経験した人にしか分からない。必ずそれが素晴らしいということではない。むしろ私の場合はそれを知ってしまったことによって、多くの他者と分かち合える何かの感覚があの時を境に変わってしまったとも思っている。
太陽はそれほどに私たちの深いところを強い光を照らす。

 3月下旬頃、ある日を境に鳥の声で目を覚ます日がある。朝キッチンの窓を開くと曙色の中に突然今まで聞こえなかった量の鳥の鳴き声が聞こえる日がある。
数日ごとに少しずつその種類は増えていき、ささやきあうような囀りと呼ぶにはふさわしくない、何かの焦燥に駆られているのではないかと思うようなけたたましい鳴き声になってくる。

その声になにかが刺激され、私もその閉塞感からの解放を求めて何かを探すように外へと向かう日々が始まった。

23.12.19

同じ空間に生きること*アルデンヌ

暖冬だったある年の12月にベルギーを訪れた。
訪れたのはアルデンヌの森。


ベルギーの首都ブリュッセル近郊は比較的平地なので、フランスやドイツとの国境にまたがる丘陵地帯のベルギー圏(ワロン地方)に行くと、通信や人々の話す言語がほぼきっちりとフランス語に切り替わることもあって、まるで他の国に来たような感覚になる。

この三か国にまたがる丘陵地(Rheinsh Massif)はバリスカン造山運動(Variscan orogeny)の影響を受けた褶曲構造を持つ地域であり、古生代のカンブリア紀~オルドビス紀~シルル紀の地層を含む。
アルプスもそうだけれど、このような古生代の地層の名や褶曲の様子を見てみると、今の時代は環太平洋地域と比べるとはるかに地震が少ないヨーロッパも、形成された時代には激しい造山運動の影響を受けてきたことが想像できて、やはり同じ地球の上の陸地なのだと納得できる。

訪れたのは湿地と針広混成樹林を通る散策路で、各々の計画に合わせていくつかのルートを選ぶことができる。
私はゲントからの往復、また12月の日長時間が短い時期だったこともあったので10~16時の間で歩けるルートを選んだ。

散策路沿いには野生動物の観察小屋もいくつか設置されていて、時期やタイミングによっては初心者でも観察しやすいように思える。
 私が歩いた時にはアカシカ、ノロジカ、ワタリガラス、イノシシが見られた。


ヨーロッパの多くの野生動物を楽しめる場所で言えることだけれど、日本のそのような場所と違い、野生動物ははるかに人間の気配に敏感であるのをここでもまた感じた。
場合によっては数十メートルの距離でも遭遇することはあるけれど、写真を構えて撮りたい場合であると、日本のそれ以上の望遠レンズがないとなかなか難しい。

私はそのような望遠レンズは携帯していないので、専ら双眼鏡での観察や目視で景色を眺めることがメインになっていたけれど、それはそれでカメラの中の目ではなく、自分のいる、動物たちのいる、『その空間』をそのままの倍率で自分の脳裏に焼き付けることができたようにも思う。


ヨーロッパで野生動物を観察する機会を持つようになってから、日本でのそのような場面での動物と人との距離との違いを思い起こして大いに考えさせられることが度々ある。
日本にいる間もしばし耳にしてきた『人間と近づきすぎた野生動物たちの末路』。
私の個人的な感覚ではヨーロッパでは野生動物と人との距離がそれほど近いとはあまり思えない。それはその陸地の広さ、つまり人間から遠ざかって行くことのできる非難場所があることが大きな理由だろうけれど、動物が積極的に人間と距離を取ろうとしているのを感じる。それはよく言われるような何百年にもわたる狩猟文化の影響なのか、日本と比較して林床植物の密度が低く見通しの良い森林や草原のためなのか分からないけれど。

日本で当たり前のように人里に降りてきて人慣れした動物を、それでも野生動物として見てきた私にとっては、その動物たちがここまで人間を避ける行動を見せることに時々少しショックを受ける。
おそらくそれは人間と野生動物との正しい共存の形なのだろうけれど。

一緒にハイキングをしたベルギー人曰く「その距離でしか向かい合えないこそ、見つけた時、出合った時の喜びや興奮がある。」。
本当に。実際に私もここで動物たちを目にした時、例えば北海道で車道のすぐ横にエゾシカやキタキツネを見るときとはまた違う興奮を覚えた。


それでも。
そこには人間がもう自然の中で生きる他の動物たちとは絶対に相容れることのできない明確な境界を引かれているようで、私の中にはどうしてもやりきれない悲しみが沸き上がってしまうのだ。

31.3.19

春の森への誘い*ヨーロッパのブナの森

中央~西ヨーロッパの極相植生のブナの森の林床は貧相なことが多い。
成長したブナ樹林は林冠をほぼ覆ってしまい、光の届かない林床では他の植物が繁茂することが難しいためである。

そんなブナの森ではあるが、秋の紅葉と春のスプリングエフェメラルと呼ばれる短期に一斉に花を咲かせる植物たちの作る息をのむような空間には魅了させられる。


赤ずきんの女の子が、森で熊と出会った女の子の通った道はこんな様子だったのだろうか、と歴史的な文化遺産を見る以外ではヨーロッパではなかなかない、幻想の世界に迷い込んだ錯覚になるのは特に春の白い絨毯が広がる時期(4~5月頃)である。

木々の合間から差し込む春の陽射しも柔らかく、美しい。

スノードロップ
(Snowdrop, Schmalblättiges Schneeglöckchen, Galanthus angustifolius

春先一番に、時には雪の下から花を覗かせるのは日本でも園芸種として親しまれるスノードロップ(Snowdrop, Schmalblättiges Schneeglöckchen, Galanthus angustifolius)とフクジュソウに少し似たセツブンソウ属の花(Winter aconite, Winterling, Eranthis hyemalis)である。

 セツブンソウ属の花
(Winter aconite, Winterling, Eranthis hyemalis

少し明るいところや庭先ではクロッカスが咲き始めるのもこの2種が咲きだすのと同じ頃(2~3月頃)である。 日本と比較して、中央ヨーロッパの日長が急激に長くなっていくのを感じ、ヤナギ類の芽も少しずつ膨らみ始める。

イチリンソウ属(アネモネ)の仲間
(Woodanemone, Buchwindröschen, Anemone nemorosa)

 冒頭の、白いお花畑を構成するのはイチリンソウ属のアネモネと呼ばれる花の仲間である(Woodanemone, Buchwindröschen, Anemone nemorosa)。日本のニリンソウに似るが葉の形や花弁の大きさの違いから、森の中で見つけたときもより強い印象を受ける。

森の近くに長く住んでいるヨーロッパ人にとっては、これがかれらにとっての『春の森』の当たり前の風景なのであろうが、私は毎年この一面のアネモネの花の林床を見た後は、いつもどこかに魂を飛ばしてしまったような、熱に浮かされるような気分になる。

キケマン属の仲間
(Corydalis, Hohler Lerchensporn, Corydalis cava

この他にも数種よく群生して見られる種としては、キケマン属(Corydalis, Hohler Lerchensporn, Corydalis cava)の仲間がある。
この種は同じ市街の複数のブナの森でも分布している場所が限られているのが興味深い。またブナに限らない林床でも見られる。

ミスミソウ
(Kidneywort, Leberblümchen, Hepatica nobilis
写真中央右上部分にいくつか見えるのがミスミソウの葉。
その他に掌状のAnemone nemorosaの葉なども見える。 
 
この他にも林床の花はいくつか挙げられるが、私が何か宝石を見つけたような気持ちにさせられるのはミスミソウ属のミスミソウ(Kidneywort, Leberblümchen, Hepatica nobilis)である。それぞれの名前の由来は腎臓の形に似た3つに分かれた葉の形から。

この時期に咲く花の多くはキンポウゲ目の植物である。
植物の構造を見ながら同定をしていくと、同じ目の中でもその多様な色や形態の進化に様々に感心させられる。
なお、ここで紹介した種の同定にはRothmalerという植物同定のために定評のある書籍を参考にしている。
https://www.springer.com/de/book/9783662497074


もうひとつこの時期のお楽しみであるのが、日本で言うところの行者ニンニクの近縁種である(Wild garlic, Bärlauch, Allium ursinum)。ラムソンとも呼ばれているらしい。
日本と同様にスズランの仲間やアマドコロの仲間などとの取違いには注意が必要ではあるが、慣れれば匂いや姿から容易に見分けられるようになる。

ドイツではバターとしてグリルをする時に使ったり、ソースやスープにも利用されている、スーパーではなかなか見かけることはできないアミガサダケ(Morchel)と並んでアウトドア好きな人ならではの春のお楽しみの採集物の一つである。

陽の光に誘われてつい森の中へと迷い込みたくなるのがこの季節。
いつまでもこの季節であったのならばと毎年思うのだけれど、もちろんそうはいかない。
花たちは太陽の光を目いっぱいに利用して昆虫を誘い、少しずつ木々が茂っていく頃、ひっそりと実を結ぶ。
多くのスプリングエフェメラルたちは種の運搬を蟻に依存しているため、それほど広範囲へは拡大しない。けれど、少しずつ、ゆっくりと。

数日ごとに通っていると春の森の景観の変化はゆっくりのようで劇的だ。
昨日咲いていた花はしぼみ、隣の蕾だったものが咲く。そんな変化が森の林床を波打ちながら広がり、最後には少しずつに緑の中へと消えていく。

春は流れる時間の早さを感じる季節でもある。
進み戻りつしながらなかなか進んでいないように見えて、過ぎ去る頃はあっという間。
蕾が開く瞬間を、昆虫が訪れるある暖かな昼下がりを、思いがけない寒さに震える瞬間を。
流れていく時の中で少しでも多く集めていきたいと思う。

1.10.18

陸と水の間*ラヘマー国立公園

ラヘマー国立公園はエストニアの首都のタリンからバスで30分ほどの場所にある湿地帯を含むエリアである。
ちょうど湿原の成り立ちや生態系について学んでいたところだったので、バルト海沿岸の湿地帯を間近で見ながら空気を感じてみたいと前々から思っていた。

エストニアは国土の約4分の1が泥炭地(peatland)で構成されている。


ラヘマー国立公園はソビエト連邦時代の1971年に初めて登録された国立公園で、陸地域474km²、水域251km²を合わせた725km²から成る。

公園内は70%が樹木で覆われるが、植物相としては針葉樹林が多くを占める北方樹林(boreal forest)とミズゴケ類(Sphagnum属)を優占種とする苔類、その上でも生長の可能なエリカ(heather)やベリー類の低木類など、それほど豊かではない。




湿原は生態学的、あるいは水文学的な水の循環システムからの観点、地形学的な側面からいくつかのタイプにカテゴライズされるが、一つの湿原でもエリアや微小地形の差異によっていくつかのタイプの集合体からなる場合が多く、一つのカテゴリーの中でその湿原の特徴を包括させることは難しい。

今回歩いた遊歩道周辺のヴィル湿地は地形タイプとしては高層湿原(Hochmoor, raised bog)に当てはまり、水源は多く雨水に依存するために栄養は乏しく(oligotroohic)水質は酸性を示す。
歩道の脇にある水淵を眺めてみると肉眼でもそのために水が赤く見える。日本語でも親しみのあるモール(Moor)温泉の色である。

スタート地点からしばらく遊歩道は地面が比較的乾燥している北方樹林帯の中にのびる。
ここではヨーロッパアカエゾマツが優先し、地面にはタチハイゴケ(Red-stemmed Feather-moss, Pleurozium schreberi)やイワダレゴケ(Stair-step moss, Hylocomium splendens)などの苔類に、エリカ(heather)、コケモモ(Cowberry, Vaccinium vitis-idaea)、ブルーベリー(Bilberry, Vaccinium sp.)などのベリー類の低木類、加えて晩秋であったためにもう様々なキノコが顔を覗かせて地面に彩りを添えていた。



エストニアの他の国立公園と比べると、ここまではバスも日に数本通っていてアクセスは良いほうだといえる。ただし、観光バスの団体の2グループとは出会ったが、個人で訪れている旅行客は極めて少ない印象を受けた。
遊歩道は約5.5㎞から成り、湿原の上は木道が敷かれている。案内板も設置されているので迷う心配は極めて少ないと思う。

今回訪れたハイキングコースについてはRepublic of Estonia Environmental Boardの作成しているPDFが詳しい(https://www.keskkonnaamet.ee/sites/default/public/viru_raba_ENG.pdf)。
駐車場はあるが、売店のようなものはないので個人で訪れる場合はそれなりの飲食物を携帯したほうがよい。

………………

今残っているヨーロッパの湿原のうち、60%ほどはかつての泥炭の集積能力を失っているといわれる。消失の最大の要因は農耕地としての利用である。
特に、降水量が年間を通して均等に適度にある温帯地域で多く見られる湿原タイプ(Percolation mire)は、今日多くの場所で農耕・放牧地として利用されている。
さらに、今回訪れたような栄養分の少ない湿地タイプも流入する水の富栄養化からそのタイプを変化させていく傾向にある。

富栄養化していくとどうなるか。
一般的に栄養分の多い土地では繁殖能力の高い種が増える傾向にある。栄養分が少ない土地で繁殖能力と引き換えに生き抜く能力を身につけた植物たちは徐々に姿を消していく。
肥沃な土地、というのはあるところではポジティブな響きを持つけれど、多様性の観点から見るとマイナスな作用を及ぼすことになる。
特にヨーロッパでは貴重種といわれるものの多くは湿地や貧栄養の土地に息づく植物たちである。

「湿原からはすべてを学ぶことができる」という言葉は湿原の見方を変えさせてくれた方の受け売りである。
連続して続く空間をカテゴライズすることの難しさ。人間の力で管理することの意義と危うさ。一見意味の無さそうな空間が、果てしない月日を超えて私たちの生活に大きな影響をもたらしていることを深く考えること。

今まで、手つかずの自然景観といえば森をイメージしていたが、湿原という存在を少し踏み込んで学ぶことを通じてその固定観念はだいぶ変わる。

人生の一時期を湿原の近くで過ごしてきた。
当時から自然の中で過ごすことが好きだったにもかかわらず、正直なところあまり湿原に特別な魅力を感じたことはなかった。

一見意味の無さそうで退屈な空間。
はたまた、苦しくてもがきたくなるそんな空間にいる時間も。必ず前後左右に、また過去から未来に繋げられている一つの地点。
きっと「湿原」だけではなく他のことからもそんなことを考えることはあるのだろうけれど。

どこまでも続く水と陸地の狭間が織りなす、「均衡」を感じる空間で、自分という存在が、今この瞬間に立っている「均衡点」について感じ、思いを巡らせる。

7.7.18

水辺の街のひと時*北ドイツ湖水地方


あるひと夏を私は北ドイツの水辺の小さな街で過ごした。
これまで過ごしたことのあるドイツとは違い、文化を売りにした観光地ではなく保養地という名がふさわしい土地だ。

家を出て10分もすれば湖にたどりつく。
ここから氷河地形の作った丘陵地帯の間の広い青空を映す水面は、どんな時も心を穏やかにしてくれる。

人口6万人ほどの街は旧市街は戦時中にすっかり破壊され、DDR時代に建てられた‘味気のない’街並みになっている。
けれど私は、この‛味気の無さ’、と中心部から徒歩でも20分とかからない水辺の緑あふれる景観との対比がなかなか気に入っていて、街にも水辺にも毎日のように歩きに出た。


湖の岸辺には小さな人工島があるが、ここには戦時中に水爆の実験工場が建てられていたのだが、現在は限られたダイバーが近づく他は水鳥の楽園となっている。


水浴はもちろんのことだが、カヌーや釣り、ビーチバレーなど水辺には様々なレジャーをする人々で毎日賑わう。


そのほか、特に旧東ドイツでは一般的だったFKK(Freikörperkultur)裸での日光浴が認められている場所がいくつかあり、はじめ何も知らずにその場所を散歩で通った私は大きな衝撃を受けた。
なんだか服を着て歩いている自分が恥ずかしくなり、そこに一糸まとわずに気持ち良く人たちが羨ましく思える不思議な感覚になった。
どこかで古くの日本もそんな文化があったということを聞いたことがある。

時間の流れというのはどこも同じはずなのに、時々陽の光を存分に浴びながら夜10時過ぎまで明るい夜をたっぷり楽しんでいる人々を見て、どこか自分が損をしているような気分になった。


体に浸み込んでいる体内時計、まだまだ季節の変わり目の急激な日長の変化にはどうにもなれることができない。
それでも時間は世界中同じように流れていく。

15.4.17

白亜の断崖とブナの森*リューゲン島


ドイツの北、バルト海に面したところにあるリューゲン島。
古くからの保養地・観光地であり、1990年にドイツで最小面積の国立公園として登録され、2011年にはそのうちの一部のブナ林が世界自然遺産に登録されている。

日本には白神山地がブナ林として登録されているが、そのころはヨーロッパで極相植生として一般的なブナ林の存在の貴重性が見直されていた時期だったという。

ちょうど白神山地が世界遺産に登録されたころに感受性の高い子供時代を過ごしていたせいか、そのブナ林の美しい姿を東北の神秘的な信仰文化とともにメディアを通してに触れることも多く、一度は訪れてみたいという気持ちをずっと持っていたが、ついに叶わず、先にヨーロッパの方のブナ林を目にすることになった。

駅から出るバスに乗り降り立った森を目にした初めの印象は、自分が想像していたよりも鬱蒼とした感じはなかった。ただ、これには大きく訪れた季節も関係しているだろう。
スプリングエフェメラルと呼ばれる類の植物たちがちらほらと咲く他は林床の植物は少ない。


特にベリー類の低木や日本の笹のような草本類がないのが、まるで誰かがあらかじめ整備したような景色で、初めて目にするものとして少し奇妙に見えた。
ヨーロッパの大部分はその昔ブナ林だったと考えられている。今のように開拓が進んでいなかった時代の風景を想像してみる。

童謡の中では暗く何か魔物のようなものが住んでいる場所として描かれることの多いヨーロッパの森。
日本の生い茂る森とはやや異なるが、その整備されたような林床の美しさが、かえってどこかその不気味さに通じる空気を作っているように思えた。


あらかじめ知っていた光景だとは言え、日本人の私にはどうしても驚かされる、はっと息をのむ組み合わせの白亜の断崖とブナ林。
カスパーフリードリッヒが見事な構図で描いた絵画が有名だが、どの構図から見ても強烈に目に焼き付けられる景観だった。


海抜で平均約100mの高さからなるリューゲン島の白亜の断崖は、その名の通り、白亜色と呼ばれる白のチョーク色なのはもちろんのこと、今から約1億4500万年~6千500万年前の白亜紀のうちの後期(約7千万年年)に形成されたものである(Nationalpark Jasmund: http://www.nationalpark-jasmund.de/index.php?article_id=97 より)。
白亜紀といえばパンゲア大陸の分裂によって新たな大陸の形成が進み、恐竜などの爬虫類が地球上で優占していた時代である。
極地の氷は存在せず今の気候よりだいぶ暖かかったらしい。だからなのか、個人的には白亜の色からはなんとなく暖かい地方のイメージが湧 く。

1億年近い時間幅の中で形成されたといわれてもなかなかピンとはこないが、古生物や歴史を感じながら歩いてみるとまた景色の見え方も変わるだろう。
白亜自体が古生物の遺骸から形成されたことからも想像できるように、化石を集めるのにもヨーロッパでは有数の魅力的な場所である。


少し歩いていくと少しずつ暗くなっていく森。
まだ芽吹きだしてそう日もたっていないので、おそらく葉が茂ったころはだいぶ薄暗くなるのだと想像する。
途中何組かの旅行者ともすれ違うが、日本の国立公園と比べるとはるかに少ない数だろう。


警告看板はあるものの、柵は展望地を除いて設置されておらず、自己責任という言葉が頭をよぎる。断崖付近にはいつ重力に引っ張られて行ってもおかしくない、宙に止まったままの倒木もあり、脆い地盤であることは容易に想像できる。

私たちが生きている時間では起こりえないであろうが、次の一億年後にはこの島はもうなくなっているのかもしれない。
自然なサイクルで生じる環境変動と、人によって拍車のかかる環境変動と。
当たり前だと思っている目の前の風景と人の時間軸を時々照らし合わせてみて考えること。

27.3.16

イースターハイキング*ドレスデン

中央ヨーロッパではキリスト教のイースターのお祭りごろから春の訪れを感じるようになる。
スノードロップ、スプリング・スノーフレーク、クロッカスから始まり、
日本では園芸植物となっているような野草が草原で一斉に芽吹く様子は、
特に自然相手の仕事をしていた私にとっては圧巻でしかない。



一方で、それまで短かった日照時間が急激に長くなり、慣れない私はこの時期は頭痛に悩まされる。
"Migräne"は和訳では単純に"偏頭痛"なのだけれど、ヨーロッパ地域の人いわく、かなり気候の要因が関係しているらしい。
実際、私も元来の頭痛持ちではないので、こちらの気象には疎いけれど、今のところはその推測はあながち間違いではないと信じている。


話は戻って、イースターは芽吹く小枝に卵のモチーフとうさぎがシンボルになる。


イースター休暇は人々はクリスマス同様、家族のもとで過ごすことが多いようだ。
天気が良ければ、みんなそろってハイキングに繰り出す。


でも、ここはやはりドイツ。
みんな集合したら出発前にまずゼクトで乾杯。
ほろ酔いになってきたところで、舌も滑らかにお喋りしながら出発。


途中の休憩はもちろんイースターのうさぎのチョコレートと大人にはリキュール。


私が気にいったのは卵黄とクリームで作られているEierlikör(アイアーリキュール)。
日本で言うならば玉子酒。ワッフルコーンに注いで、それごと食べる。
カスタードクリームにアルコールが入ったような印象。

この日のハイキングは老若男女総勢13人で距離は8km。
以前は一日中歩いていたらしい。

今は以前ほど近くなくなった親戚関係なのだそうだが、こうした年数回の交流で近況報告をしながら、お金だけではない助け合いができる関係を築くことが出来ているのではないかと思う、
と一緒に歩いてくれた60代半ばの人柄のうかがえる朗らかな笑顔の男性は話してくれた。



以前イスラムの友人と話していたとき、ドイツ人は交友関係が表面的で全てお金と書類でしか解決しない、と嘆いていた。
イスラム文化は私からすれば驚くほど親切な、逆に言えば私には距離感が少しつかみにくい、"密接な人間関係によってつくられる社会"だと思う。

文化の発展によって人間関係の価値観は変わってしまうものなのだろうか、と時々思うことがある。
でも、先の男性が言ったような積極的に関係を維持する努力、あるいは自発的なそういう感情。
結局、どんな人間にとってもその価値観はそれほど変わらないのではないのではないかなという楽観と願い。

23.2.16

静かな霧と琥珀の街*グダンスク


到着したのは午前6時。
街全体は暗闇と深い霧に包まれていた。

夜明け前のグダンスク駅前


その昔はドイツの占領下でDanzigと呼ばれていた街、ポーランド・グダンスク。
Ostsee(バルト海)に面したこの街は古くはハンザ同盟都市として栄えていたそう。
街の大きさは一日あれば十分歩ける大きさだろうか。



浜辺までは旧市街地から歩いて1時間半ほど。
運河沿いを歩くと霧の中の印象的な日の出を眺めることができた。
霧の向こうには青空が見えるから不思議な感じだ。
どこかで異世界に迷い込んでしまった気分になる。

浜辺まではトラムでも行くことが出来、夏場は多くの人で賑わうそう。

旧市街地の中心部


ライトアップが美しいネプチューンの泉

グダンスクは、タイムスリップしたような感覚になるパステルカラーの旧市街も有名だ。
夜まで治安も良く、様々な国の影響を受けた料理や土産物の並ぶ商店での買い物も楽しめる。



そして琥珀の街でもある。

琥珀の装飾品
 
琥珀博物館では、琥珀の成り立ちからモダンな装飾品までが並んでいた。
琥珀の生成の仕方や部位の違いによって形状や色がだいぶ異なるのだそう。
それを寄木細工のように組み立てたそれらは、個人的には自分の琥珀の見方を変えるのには十分だった。

小さい頃、お土産にもらった蟻の閉じ込められた琥珀の首飾りのことを思い出した。
約4,000万年という途方もない歴史の彼方に生きていたものの遺産と思うと、
ここにいる自分や、目の前の世界の存在をあれこれと考えてしまう。


琥珀の流れつくこともあるという少し黄味の強い砂浜に腰をおろしながら眺める静かな波間は、
3次元にも4次元にも心を揺らす。

6.3.15

美食の街*リヨン


フランス第二の都市、リヨン。かつては絹で栄えた商業都市。
街はセーヌ川とローヌ川の二つの川に分断された3つの地区からなる。

美しいのはやっぱり川沿いの手工業の街並み。
どこかの絵でこんな風景を見た気がする。
パリのベースの色が白ならば、リヨンの街は淡彩色だと思う。

 


この街、名物のクッスンをいただきながらエスプレッソを飲んだ。
日本の和菓子を食べながら抹茶を飲んでいる感覚になるから不思議だ。

同じヨーロッパでも隣り合うドイツとはちょっと違う。
ドイツならば大きいケーキに伸ばしたコーヒーが合う。
どちらかが良いわけではなくて、おしゃれなわけではなくて、
そこの空気ではそれぞれが居心地よくさせる気がする。



美食って何だろう。

同じ価格帯なら、美しさというものなら日本のほうがきっと素敵な料理とサービスが出てくるに違いないと私は思う。

でも、美しい時間というのならどうだろう。
地元の大地を感じる時間をこんなに楽しむことが出来るだろうか。
気取らないけれどかけがえのない時間を楽しむことが出来るだろうか。

食でも、人でも、美しさは本当に奥が深い。
でも、全てが明確ではない部分の味わい。隠れた部分があるからでこその味わい。
それが本当の美しさなのかな、と思う。

15.11.14

過去と未来がある街*ベルリン


何かに惹かれてやってきたドイツ。
だから、絶対にこの目で見て知っておきたかった、首都ベルリンのこと。

そう思い続けてやっと来れたベルリンは、想像していたよりもずっと優しくて、落ち着いた街でした。



季節は秋の真っただ中。

道路には街路樹の落ち葉がたくさん降り積もっていた。


今までヨーロッパを歩いてきた街の中で、日本人が憧れた西洋はパリだったんだと思っていた
けれど、ああドイツにもそんな場所があったんだ、そう思えたのがここ、ベルリン。
森鴎外の舞姫の冒頭を思い出して無性に読みたくなった。
 
 
でも、日本と同じように、もしかしたらそれ以上に70年前に一度壊れてしまった街。
「壁」というものが作られ、25年前までその戦争の名残を残していた。
その「壁」は、70年前の戦争の名残と言うよりは、
それ以降の世界史の移り変わり象徴だったのだと思うけど、それでもこの街は分断され、
今は同じ国の住民同士で違う歴史をたどってきた。
 
 
私はその戦争を知らない。
私はその時代を知らない。
 
 
きっとどんなにその時代のことを調べたって、これっぽっちもそこに暮らしていた
人のことなんてわかるはずはないんだろうけれど。
それでも私は、今その時代に生きていた人たちのいる街で暮らしてる。

18.10.14

青の湖群と森の世界遺産*プリトヴィッツェ湖群国立公園


暖かいクロアチアにも少しずつ秋は近づく。
ふと目をやれば、ザグレブの街中でもツタが赤く染まってくるのが目に留まり始める。

もうそろそろかと思い、秋になったら行きたいとかねてより計画していた、
ザグレブからバスで2時間半ほどの場所にあるプリトヴィッツェ湖群国立公園へ出かけた。

世界自然遺産に登録されている国立公園で、最近ではアジアでも知名度が高く、
最盛期は大変な混雑になるそうである。

 
この日はそこまででもないと思うが、アジアからの団体客をはじめ、
世界中からの観光客で船着き場は賑わっていた。

 
場内は入園料で船やバスを自由に乗り継ぐことができる。
個人的にはバスも船も国立公園にとても合ったつくりをしていて
(船はエンジン音がほとんどせず、水面もほとんど波立たない、
バスは天候に左右されず乗りやすい作りをしている等。)、
とても感心した。


紅葉の具合は思ったよりもすすんでいなかったのだけれど、
いくつかのポイントでは写真のような紅葉と森と湖との図を切り取ることができた。


増水のため、いくつか通れない道もあったけれど、見たい構図はたっぷり楽しめた。
今回利用したのは行きがザグレブ8時40分発、帰りがプリトヴィッツェ16時45分発のバス。
これで多少端折りながらも、体力のある人ならば十分に満喫できると思う。

昼食はバスターミナルで確保がおすすめとされることが多いが、
園内のセルフサービス式レストランは料金も手ごろで、
日本人の口にも合う料理が楽しめる。
この日は暑かったので、レモンの入ったOzujskoのラドラーがとても美味しかった。


透き通るような水の中に泳ぐ、たくさんの魚の群れも見ることができる。
ただし、本来いるべきマスはわずかで、ほとんどはコイの仲間だ。
もちろん禁止はされているのだがエサをやっているビジターも多く、
それが要因の一つでもありそうだ。
エサやりはにほんの文化だとばかり思っていたが、どうやらそうでもないらしい。


世界自然遺産にはユネスコが定める4つの登録基準があるが、
プリトヴィッツェ湖群国立公園は、そのうち以下の3つが評価根拠となっている
(UNESCO World Heritge Centre : http://whc.unesco.org/en/criteria/)。

(7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
(8) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の
  発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれ
  る。
(9) 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重
  要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。

かみくだけば、
(7)自然美と景観美が素晴らしい
(8)地球の成り立ちを示すものがある
(9)豊かな生態系ネットワークの存在してる
といった感じだろう。

それを頭に入れて改めてこの公園を見るのもまた興味深い。

でも、私にとっては初めて歩いたときの自分の感覚が、いつだってその場所の評価基準だ。
一番は、一年を通してまた来て見てみたいと思える場所かどうか。

そして、間違いなくここも、また違う光に包まれた瞬間を見てみたいと思える場所だった。


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追記。

ちなみに、もうひとつの基準は、
(10) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいる
  もの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れ
  のある種の生息地などが含まれる。

つまり、
(10)希少種が存在している
ということ。
また、日本の自然遺産はそれぞれ、
白神山地では(9)、知床では(9)(10)、屋久島では(7)(9)、小笠原諸島では(9)
が評価根拠になっている。