23.12.19

同じ空間に生きること*アルデンヌ

暖冬だったある年の12月にベルギーを訪れた。
訪れたのはアルデンヌの森。


ベルギーの首都ブリュッセル近郊は比較的平地なので、フランスやドイツとの国境にまたがる丘陵地帯のベルギー圏(ワロン地方)に行くと、通信や人々の話す言語がほぼきっちりとフランス語に切り替わることもあって、まるで他の国に来たような感覚になる。

この三か国にまたがる丘陵地(Rheinsh Massif)はバリスカン造山運動(Variscan orogeny)の影響を受けた褶曲構造を持つ地域であり、古生代のカンブリア紀~オルドビス紀~シルル紀の地層を含む。
アルプスもそうだけれど、このような古生代の地層の名や褶曲の様子を見てみると、今の時代は環太平洋地域と比べるとはるかに地震が少ないヨーロッパも、形成された時代には激しい造山運動の影響を受けてきたことが想像できて、やはり同じ地球の上の陸地なのだと納得できる。

訪れたのは湿地と針広混成樹林を通る散策路で、各々の計画に合わせていくつかのルートを選ぶことができる。
私はゲントからの往復、また12月の日長時間が短い時期だったこともあったので10~16時の間で歩けるルートを選んだ。

散策路沿いには野生動物の観察小屋もいくつか設置されていて、時期やタイミングによっては初心者でも観察しやすいように思える。
 私が歩いた時にはアカシカ、ノロジカ、ワタリガラス、イノシシが見られた。


ヨーロッパの多くの野生動物を楽しめる場所で言えることだけれど、日本のそのような場所と違い、野生動物ははるかに人間の気配に敏感であるのをここでもまた感じた。
場合によっては数十メートルの距離でも遭遇することはあるけれど、写真を構えて撮りたい場合であると、日本のそれ以上の望遠レンズがないとなかなか難しい。

私はそのような望遠レンズは携帯していないので、専ら双眼鏡での観察や目視で景色を眺めることがメインになっていたけれど、それはそれでカメラの中の目ではなく、自分のいる、動物たちのいる、『その空間』をそのままの倍率で自分の脳裏に焼き付けることができたようにも思う。


ヨーロッパで野生動物を観察する機会を持つようになってから、日本でのそのような場面での動物と人との距離との違いを思い起こして大いに考えさせられることが度々ある。
日本にいる間もしばし耳にしてきた『人間と近づきすぎた野生動物たちの末路』。
私の個人的な感覚ではヨーロッパでは野生動物と人との距離がそれほど近いとはあまり思えない。それはその陸地の広さ、つまり人間から遠ざかって行くことのできる非難場所があることが大きな理由だろうけれど、動物が積極的に人間と距離を取ろうとしているのを感じる。それはよく言われるような何百年にもわたる狩猟文化の影響なのか、日本と比較して林床植物の密度が低く見通しの良い森林や草原のためなのか分からないけれど。

日本で当たり前のように人里に降りてきて人慣れした動物を、それでも野生動物として見てきた私にとっては、その動物たちがここまで人間を避ける行動を見せることに時々少しショックを受ける。
おそらくそれは人間と野生動物との正しい共存の形なのだろうけれど。

一緒にハイキングをしたベルギー人曰く「その距離でしか向かい合えないこそ、見つけた時、出合った時の喜びや興奮がある。」。
本当に。実際に私もここで動物たちを目にした時、例えば北海道で車道のすぐ横にエゾシカやキタキツネを見るときとはまた違う興奮を覚えた。


それでも。
そこには人間がもう自然の中で生きる他の動物たちとは絶対に相容れることのできない明確な境界を引かれているようで、私の中にはどうしてもやりきれない悲しみが沸き上がってしまうのだ。

1.6.19

流れる水と漂う人間と*アンダルシア①

どこへ向かうにしても、旅をするときは多少ともその場所の歴史を眺めてみると、
目の前の景色が違う印象を持つことがある。


普段もガイドブックやインターネットでざっとそのあたりの情報を見て、訪れる特定の場所、例えば教会やモスク、公園の歴史を点として追ってから出発するのだけれど、アンダルシアに向かう前は必要に迫られたこともあり、線としてこの地域の歴史を追ってから出発することになった。

スペイン、特にアンダルシアといえば、イスラム帝国時代がその土地を象徴する大きなあり、実際にその地に降り立ってみても、今も至る所に残るそのどこか他のヨーロッパ諸国とは異なるエキゾチックな趣が確かにその地が独自の文化を育んできた時代を通ってきて現在に至ったことを感じさせられる重要な歴史の一部分であると思う。


日本の世界史の中ではあまり大きく扱われることの少ない、イスラム支配以前のアンダルシア地方の史実を追ってみた一部分をここに簡単に記しておく。

歴史をずっと遡れば、アンダルシアにはアフリカから渡ってきたばかりの現生人類の痕跡をみることができる。フランスのクロマニヨン人と同様に、彼らは狩猟をしながら洞窟で暮らしていたと考えられている。例えばNerja Caves(西:Cuevas de Nerja)では、紀元前2万5千年頃から居住していたと考えられている人骨が発掘されている(http://www.nerjarob.com/nerjacaves/about-the-caves/)。


『アンダルーシア風土記(永川玲二著)』によれば、アンダルシア地方はイスラム帝国になる遥か昔のローマ史以前から、その古生代から完新世までにかけて形成されていった過程で生まれた豊富な鉱脈資源と地中海に面する地の利からフェニキア人たちとの交易の拠点になっていた場所だという。
彼らは金属資源と引き換えに、冶金や農耕、さらにはアルファベットをアンダルシアの地にもたらした。

ローマ統治時代(B.C. 2~5世紀)はポエニ戦争後にスキピオが療養地として整備し、後の植民地となるイタリカ周辺が首都から離れた場所に位置しながらもローマと深い結びつきを持ち、暴君としても有名なローマ帝国5代皇帝のネロの家庭教師を務めた哲学者のセネカのような知識人を多く輩出した。このイタリカは多くの文化の発信地となることで地元民を"ローマ化(Romanization)"していく上でも重要な役割を果たす。

後の皇帝トラヤヌスはイタリア以外から選出された初めての君主となり、同じくイタリカ出身と考えられている続く皇帝のハドリアヌスとともに後々五賢帝の一人に数えられている。彼らの時代にイタリカの文化は最高潮を迎えることとなる。

やがて、ローマ帝国の衰退、ユーラシア大陸の広範囲にわたる諸民族大移動時代を経て(この時代にイタリア文化の多くが破壊や略奪により失われた)、ムーア人によるイスラム帝国時代の時代がやってくるのが8世紀のこと。

当時イベリア半島の大部分はゲルマン人の一派による西ゴート王国となっていたが、支配階級の内紛が頻発していた。
ムーア人たちはこの機に乗じて対立派の貴族からの要請を受けての支援軍としての体で、711年にジブラルタル海峡を経てイベリア半島に上陸、史実上は以降破竹の勢いでイベリア半島のほぼ全土をわずか10年弱で制圧していくことになる。


7世紀半ばまでにはイベリア半島のほぼ全部をムーア人によるイスラム支配化として塗りつぶすことになるわけではあるが、宗教や民族の入り混じるこの地を制圧していく代償はそれ相当なものがあったのだろうし、イスラム帝国内でも支配階級者による内紛はあったということだから、たとえ一時的に制圧したとしてもそれを維持していく作業には、ローマ帝国が植民地を通じてローマ化させたのとは比にならいほどの急進的で莫大な力が必要だったのではないだろうか。

それからイベリア半島の一部ではレコンキスタで再び奪還されるまで約8世紀にわたり、ムスリムの支配による時代が続く。
彼らはローマ時代からの文化を引き継ぎ、進展させ、一方では交易によって果ては極東からの文明も取り入れてその文化を発展させていく。

31.3.19

春の森への誘い*ヨーロッパのブナの森

中央~西ヨーロッパの極相植生のブナの森の林床は貧相なことが多い。
成長したブナ樹林は林冠をほぼ覆ってしまい、光の届かない林床では他の植物が繁茂することが難しいためである。

そんなブナの森ではあるが、秋の紅葉と春のスプリングエフェメラルと呼ばれる短期に一斉に花を咲かせる植物たちの作る息をのむような空間には魅了させられる。


赤ずきんの女の子が、森で熊と出会った女の子の通った道はこんな様子だったのだろうか、と歴史的な文化遺産を見る以外ではヨーロッパではなかなかない、幻想の世界に迷い込んだ錯覚になるのは特に春の白い絨毯が広がる時期(4~5月頃)である。

木々の合間から差し込む春の陽射しも柔らかく、美しい。

スノードロップ
(Snowdrop, Schmalblättiges Schneeglöckchen, Galanthus angustifolius

春先一番に、時には雪の下から花を覗かせるのは日本でも園芸種として親しまれるスノードロップ(Snowdrop, Schmalblättiges Schneeglöckchen, Galanthus angustifolius)とフクジュソウに少し似たセツブンソウ属の花(Winter aconite, Winterling, Eranthis hyemalis)である。

 セツブンソウ属の花
(Winter aconite, Winterling, Eranthis hyemalis

少し明るいところや庭先ではクロッカスが咲き始めるのもこの2種が咲きだすのと同じ頃(2~3月頃)である。 日本と比較して、中央ヨーロッパの日長が急激に長くなっていくのを感じ、ヤナギ類の芽も少しずつ膨らみ始める。

イチリンソウ属(アネモネ)の仲間
(Woodanemone, Buchwindröschen, Anemone nemorosa)

 冒頭の、白いお花畑を構成するのはイチリンソウ属のアネモネと呼ばれる花の仲間である(Woodanemone, Buchwindröschen, Anemone nemorosa)。日本のニリンソウに似るが葉の形や花弁の大きさの違いから、森の中で見つけたときもより強い印象を受ける。

森の近くに長く住んでいるヨーロッパ人にとっては、これがかれらにとっての『春の森』の当たり前の風景なのであろうが、私は毎年この一面のアネモネの花の林床を見た後は、いつもどこかに魂を飛ばしてしまったような、熱に浮かされるような気分になる。

キケマン属の仲間
(Corydalis, Hohler Lerchensporn, Corydalis cava

この他にも数種よく群生して見られる種としては、キケマン属(Corydalis, Hohler Lerchensporn, Corydalis cava)の仲間がある。
この種は同じ市街の複数のブナの森でも分布している場所が限られているのが興味深い。またブナに限らない林床でも見られる。

ミスミソウ
(Kidneywort, Leberblümchen, Hepatica nobilis
写真中央右上部分にいくつか見えるのがミスミソウの葉。
その他に掌状のAnemone nemorosaの葉なども見える。 
 
この他にも林床の花はいくつか挙げられるが、私が何か宝石を見つけたような気持ちにさせられるのはミスミソウ属のミスミソウ(Kidneywort, Leberblümchen, Hepatica nobilis)である。それぞれの名前の由来は腎臓の形に似た3つに分かれた葉の形から。

この時期に咲く花の多くはキンポウゲ目の植物である。
植物の構造を見ながら同定をしていくと、同じ目の中でもその多様な色や形態の進化に様々に感心させられる。
なお、ここで紹介した種の同定にはRothmalerという植物同定のために定評のある書籍を参考にしている。
https://www.springer.com/de/book/9783662497074


もうひとつこの時期のお楽しみであるのが、日本で言うところの行者ニンニクの近縁種である(Wild garlic, Bärlauch, Allium ursinum)。ラムソンとも呼ばれているらしい。
日本と同様にスズランの仲間やアマドコロの仲間などとの取違いには注意が必要ではあるが、慣れれば匂いや姿から容易に見分けられるようになる。

ドイツではバターとしてグリルをする時に使ったり、ソースやスープにも利用されている、スーパーではなかなか見かけることはできないアミガサダケ(Morchel)と並んでアウトドア好きな人ならではの春のお楽しみの採集物の一つである。

陽の光に誘われてつい森の中へと迷い込みたくなるのがこの季節。
いつまでもこの季節であったのならばと毎年思うのだけれど、もちろんそうはいかない。
花たちは太陽の光を目いっぱいに利用して昆虫を誘い、少しずつ木々が茂っていく頃、ひっそりと実を結ぶ。
多くのスプリングエフェメラルたちは種の運搬を蟻に依存しているため、それほど広範囲へは拡大しない。けれど、少しずつ、ゆっくりと。

数日ごとに通っていると春の森の景観の変化はゆっくりのようで劇的だ。
昨日咲いていた花はしぼみ、隣の蕾だったものが咲く。そんな変化が森の林床を波打ちながら広がり、最後には少しずつに緑の中へと消えていく。

春は流れる時間の早さを感じる季節でもある。
進み戻りつしながらなかなか進んでいないように見えて、過ぎ去る頃はあっという間。
蕾が開く瞬間を、昆虫が訪れるある暖かな昼下がりを、思いがけない寒さに震える瞬間を。
流れていく時の中で少しでも多く集めていきたいと思う。