15.11.14

過去と未来がある街*ベルリン


何かに惹かれてやってきたドイツ。
だから、絶対にこの目で見て知っておきたかった、首都ベルリンのこと。

そう思い続けてやっと来れたベルリンは、想像していたよりもずっと優しくて、落ち着いた街でした。



季節は秋の真っただ中。

道路には街路樹の落ち葉がたくさん降り積もっていた。


今までヨーロッパを歩いてきた街の中で、日本人が憧れた西洋はパリだったんだと思っていた
けれど、ああドイツにもそんな場所があったんだ、そう思えたのがここ、ベルリン。
森鴎外の舞姫の冒頭を思い出して無性に読みたくなった。
 
 
でも、日本と同じように、もしかしたらそれ以上に70年前に一度壊れてしまった街。
「壁」というものが作られ、25年前までその戦争の名残を残していた。
その「壁」は、70年前の戦争の名残と言うよりは、
それ以降の世界史の移り変わり象徴だったのだと思うけど、それでもこの街は分断され、
今は同じ国の住民同士で違う歴史をたどってきた。
 
 
私はその戦争を知らない。
私はその時代を知らない。
 
 
きっとどんなにその時代のことを調べたって、これっぽっちもそこに暮らしていた
人のことなんてわかるはずはないんだろうけれど。
それでも私は、今その時代に生きていた人たちのいる街で暮らしてる。

18.10.14

青の湖群と森の世界遺産*プリトヴィッツェ湖群国立公園


暖かいクロアチアにも少しずつ秋は近づく。
ふと目をやれば、ザグレブの街中でもツタが赤く染まってくるのが目に留まり始める。

もうそろそろかと思い、秋になったら行きたいとかねてより計画していた、
ザグレブからバスで2時間半ほどの場所にあるプリトヴィッツェ湖群国立公園へ出かけた。

世界自然遺産に登録されている国立公園で、最近ではアジアでも知名度が高く、
最盛期は大変な混雑になるそうである。

 
この日はそこまででもないと思うが、アジアからの団体客をはじめ、
世界中からの観光客で船着き場は賑わっていた。

 
場内は入園料で船やバスを自由に乗り継ぐことができる。
個人的にはバスも船も国立公園にとても合ったつくりをしていて
(船はエンジン音がほとんどせず、水面もほとんど波立たない、
バスは天候に左右されず乗りやすい作りをしている等。)、
とても感心した。


紅葉の具合は思ったよりもすすんでいなかったのだけれど、
いくつかのポイントでは写真のような紅葉と森と湖との図を切り取ることができた。


増水のため、いくつか通れない道もあったけれど、見たい構図はたっぷり楽しめた。
今回利用したのは行きがザグレブ8時40分発、帰りがプリトヴィッツェ16時45分発のバス。
これで多少端折りながらも、体力のある人ならば十分に満喫できると思う。

昼食はバスターミナルで確保がおすすめとされることが多いが、
園内のセルフサービス式レストランは料金も手ごろで、
日本人の口にも合う料理が楽しめる。
この日は暑かったので、レモンの入ったOzujskoのラドラーがとても美味しかった。


透き通るような水の中に泳ぐ、たくさんの魚の群れも見ることができる。
ただし、本来いるべきマスはわずかで、ほとんどはコイの仲間だ。
もちろん禁止はされているのだがエサをやっているビジターも多く、
それが要因の一つでもありそうだ。
エサやりはにほんの文化だとばかり思っていたが、どうやらそうでもないらしい。


世界自然遺産にはユネスコが定める4つの登録基準があるが、
プリトヴィッツェ湖群国立公園は、そのうち以下の3つが評価根拠となっている
(UNESCO World Heritge Centre : http://whc.unesco.org/en/criteria/)。

(7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
(8) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の
  発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれ
  る。
(9) 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重
  要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。

かみくだけば、
(7)自然美と景観美が素晴らしい
(8)地球の成り立ちを示すものがある
(9)豊かな生態系ネットワークの存在してる
といった感じだろう。

それを頭に入れて改めてこの公園を見るのもまた興味深い。

でも、私にとっては初めて歩いたときの自分の感覚が、いつだってその場所の評価基準だ。
一番は、一年を通してまた来て見てみたいと思える場所かどうか。

そして、間違いなくここも、また違う光に包まれた瞬間を見てみたいと思える場所だった。


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追記。

ちなみに、もうひとつの基準は、
(10) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいる
  もの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れ
  のある種の生息地などが含まれる。

つまり、
(10)希少種が存在している
ということ。
また、日本の自然遺産はそれぞれ、
白神山地では(9)、知床では(9)(10)、屋久島では(7)(9)、小笠原諸島では(9)
が評価根拠になっている。

14.10.14

実りのブドウ畑の記憶*リューデスハイム

 
 
2013年10月初旬。ドイツはライン川のほとりのリューデスハイム。
ワイン好きの人であれば知っているであろう、ここはドイツワインの一大産地だ。
とくにここで有名な品種は収量の最も多いリースリング。
フルーティーな香りと酸味が特徴の白ブドウである。


リューデスハイム周辺のラインガウ地方は、南向きの急斜面の丘が広がることで、
美味しいワインを作るためのブドウを生産するのに十分な日射量を受けることができる。
また、ライン川からの太陽光の反射も加わることで、「太陽の2度当たる場所」
とも呼ばれてきたように、古くからワインの好生産地となってきた。

そんなワイン産地が一段と活気づきはじめるのがこの9月下旬から10月にかけての季節。
丘一面のブドウ畑ではブドウの実が輝き始め、葉は少しずつ色づき始める。


街では昨年収穫されたブドウによる発酵途中のワインの新酒、
フェダーヴァイザー(独語:Feder Weisser=白い羽)が振る舞われ、
今年のブドウの収穫への期待も高まってくる。

Feder WeisserとZwiebel kuchen(玉ねぎのキッシュ)のセット
飲めるのは例年9月下旬から10月半ばころまで

ドイツといえばビールのイメージが強いが、この地方ではむしろワインのほうが好まれていて、
カフェでももっぱら昼間からワインを飲んでいる人の姿のほうが目につく。

ワインの地産池消の街。
日本の高いワインのイメージからするとなんともすごく贅沢な気がするが、
日本のように質の良い水を豊富に得ることができなかった古きヨーロッパでは、
ワインは保存できる水代わりに飲まれていたという話も聞く。

もちろん今ではそんなことはないのだが、
それでも日常に欠かせない飲み物であることには変わりがない。
ワインの格付けにはテーブルワインという位置づけもあるくらいだ。


ブドウの収穫作業には様々な地域・国からの労働者が携わることも多い

ところ変わればではあるけれど、もしかしたらこのリューデスハイムのブドウ畑の広がる風景は、
日本人にとっての茶畑のようなドイツ人にとっての心の原風景なのかもしれない、
とマルクト広場のワインスタンドでグラスに注がれた輝く黄金色のワインを片手に、
和やかな時間を過ごすドイツ人の旅行者たちを見ながら思った。

13.10.14

魔女伝説*ハルツ山地


「春の終わりに魔女たちの集う山がある。」

2013年10月。
そんな話を聞いて、とても興味を持っていた場所。ハルツ地方、ブロッケン山。
行くことができたのは結局秋になってしまったけれど、おかげで予想外の美しい光景を楽しめた。

ハルツ地方には日本人に知られているあまり大きな観光の街はない。
だが、保存状態の非常に良い木組みづくりの街並みや、東西ドイツ時代の境界にあったために残されている豊かな自然のため、ドイツの人たちには人気の休暇地域である。
人口の多い最寄りはヒルデスハイム(Hildesheim)という街。

私が宿泊したのはヴェルニゲロデ(Wernigerode)。
閑散期に入ったためか、ホステルは8人部屋に2人のみであった。
到着した日は生憎の雨。
そんな中、美味しい夕食を探し求めて間違えて街と反対方向に歩いたのは良い思い出。
次の日まで濡れたズボンを干すことになった。

翌朝は快晴。
目的のハルツ山へ。正直こんなにも紅葉が美しいとは思っていなかった。


それは北海道と似ていて赤は少ない。
黄色と常緑樹の緑と山にかかる霧が怪しく美しい景色を作りだす。



もしかしたら本当に私はどこかの絵本の1ページに迷い込んでしまったのかもしれない。
頂上は生憎の霧だった。
でも、なんだかさらに神秘性が増した気がして、悔しさよりも満足感でいっぱいになった。



電車でのアクセスはやや悪いが、ドイツの美しい街並みを初めて見てみたい人には、
私はローテンブルクよりも断然、Wernigerodeをおすすめする。

街ではアジア人は皆無。
近くのQuedlinburgも木組みのドイツの歴史の奥深さを感じられてまた良い。
自分にとっては初めての場所なのに、日本の飛騨高山にいるようななんだか懐かしい気分にさせられる場所なのだ。



どこにいてもいろんなことを考えさせられる季節だけれど、
鮮やかな紅葉と異国なのになぜか郷愁をさそう景色に心をはげしく揺さぶられる。


秋、深まる。

4.9.14

アドリア海の真珠と呼ばれる街*ドゥブロヴニク

上空からのドゥブロヴニクの眺め

クロアチアで最も有名なリゾート地といえば、ここドゥブロヴニクだろう。
街に足を一歩踏み入れれば、それが間違いのない事実、
そして同時に、今最もホットな場所であることもよくわかる。


ダルマチア地方のクロアチアの飛び地であるドゥブロヴニクは14世紀から16世紀にかけて海洋国家として繁栄を極めた街だ。
城壁でぐるりと囲われた街全体が世界遺産になっているが、
1991年のクロアチア独立の際の内戦によって8割がた街は消失、大部分はその後に作られたものだそう。


以前は歴史が古い割に妙に綺麗な石造りの街並みを見ると、
観光地化のためにするなんて嫌な感じだと思っていたけれど、
最近はかえってその美しさに、これを壊した戦争のもつ広大なエネルギーの恐ろしさや、
石の下に眠るたくさんの人の魂を痛いほど感じるようになった。
そう意味ではいくら美しくても、ただのテーマパークとは違うなと思う。

今も昔も海の色は変わっていないのかな、と思いながら城壁の間から海辺に出ると
9月に入ってもまだ暖かい海で泳ぐ人々の姿をたくさん見つけた。


とても広く見える海だけれど、ヨーロッパの国の間だけに広がる地中海。
今はこんなに穏やかだけれど、この海の下には様々な歴史が眠っているんだろう。

27.8.14

光と闇のあるところ*スピッツベルゲン島


8月下旬。

最北の街にも約4か月ぶりの夕焼けがやってきた。
太陽の有難さ、なんていうと少し説教臭いけれど、
一生で太陽のことを考える時間がここで暮らした数か月以上に来るとは思えない。

明けない夜はない。
一番星に願うこと。

当たり前のような癒しや希望を探す愛の決まり文句の詩が、
こんなにもあっけなく嘘になる世界があるなんて知らなかった。

自分の周りにある世界のモノや、コトだって、
ちょっと自分の空間を超えたら全く別のものになってしまうものなんて
本当はきっとたくさんあるんだろう。

私のこの島での生活も終わりがやってきた。
これから私に廻って来るいくつもの光の時間、闇の時間をもっと大切に生きたいと思った。


光の下で生きていける時間はあっという間だ。

23.8.14

石炭の島*スピッツベルゲン島

スピッツベルゲン島は遥か昔、赤道付近にあったのだそうだ。
それが現在は北極圏へ。
今を生きている私たちにはなかなか想像しがたい事実だけれど、
その証拠は、島名の由来にもなったたくさんの尖った山(独語:Spitz=先端、Bergen=山々)の
チョコレートの層のようになった地層を専門家がよくみるとわかるらしい。


そしてそんな層からはその時代にここに茂っていた、
今となっては一本もこの島には生えていない木本植物の化石が見られる。
化石ハンティングがひとつのツアーになっているくらいだ。

その事実はすなわち、人類にとってのエネルギー、石炭もこの島に眠っているということも意味する。
先人たちがその事実を早く知らないはずがなく…
というよりもこの島の開拓の歴史の主要な部分はそこから始まるといってもいい。
そもそもこの島の首都ロングイェールビン(Longyearbyen)というのも
アメリカ人の炭鉱経営者Longyearからきている。※Byenはノルウェー語で街の意味。

街は炭鉱の経営によって始まり、現在も経済を支える主要な産業は炭鉱であり、
電力も石炭である。


ロングイェールビンから内陸に進んでいって30分ほどの隣町ニビェンとの間には、
地元の子供たちに「夏場のサンタクロースの家」と呼ばれる旧炭坑跡がある。
これが日本だったら記念碑作ってとっとと撤去されていたであろう、古めかしさ満載。

調べてみると、最初に設立されたのは1913年。
第二次世界大戦中にナチスによって爆撃され、1943年から1962年まで燃え続けたのだとか。
こんなところにまで戦争の影響があったことにも驚きだが、
18年も燃え続ける石炭のパワーにさらに驚く。


現在のは新しいもので、閉山となる1968年まで使われていたものだそうだ。
かなり険しい斜面ではあるが(多分45°以上)、登ることも可能で自己責任だが中にも入れる。
廃墟マニアと歴史好きにはたまらない場所ではないだろうか。
そして意外と次から次へと人が訪れる


で、最初のサンタクロースの家と呼ばれる由来だが、
サンタクロースがプレゼントを届けるための資金稼ぎに夏場に炭坑で働いているというものらしい。
普通だったら完全に心霊スポットになりそうな場だけれど、
そんなファンタジックな物語が生み出されて過去の正であり負でもある遺産を現在に生かして生活しているところがとても面白くて興味深い。


クリスマス前にはサンタポストが設置され、イルミネーションも着くのだとか。

6.8.14

野生動物が纏う空気*スピッツベルゲン島


 
野生動物と人とのかかわり。
道端でごみを漁るキタキツネ(北海道・羅臼町)
 
ここにキツネがいると聞いて、日本と同じように人の住んでいる場所の近くだから
すぐにみられるだろうと高をくくっていたのだけれど、待てど暮らせど見かける機会がなかった。
日本に住んでいた時は、登山者のバックパックを引き裂いて食べ物を盗んだり、
民家の近くでごみを漁っていたりする様子がよく見られたので、ここでもそんな感じに見られるのかな、と思っていた。
むしろ、それよりもっと食欲旺盛と聞くホッキョクギツネはそれよりもすごいのだろうか、なんて思っていたり。
 
ここでようやくその姿を見かけることができたのは、ここにくらすようになって3か月ほどたつ、
夜の21時ころだった。曇りで少し薄暗い頃だった。
 
窓を開けて空気の入れ替えをしようとしたときに、
窓の外の動く塊を見つけて慌ててカメラを持って外に出た。
 
 
地面を掘ってネズミか何かを探しているようだった。
ふと、私と目の合った彼の赤い瞳。
言葉ではうまくは言い表せないけれど、日本で見たキツネとは違う、完全に人間とは別の世界に住む生き物の空気を感じた。
そして、あっという間に丘を駆け上がり消えていった。
 
この島では昔からキツネは狩猟対象の動物の一つだ。
それが彼らのヒトへの警戒感を高めているのかもしれない。
 
 
人間は野生動物を支配できる立場にあって、
愛でることもできれば、殺すこともできるのは紛れもない事実だ。
 
野生動物だって学ぶことはできる。愛されればもっと近づいていく。
生き易い方向に流されていく。
でも、その生き方は彼らがその種として生きることの破滅へ向かうことを意味している。
 
 
動物と人との距離。
 
野生動物は別の世界で生きている生き物。
支配できる力を持っているヒトだからこそ、その距離がどんなに大事なものなのかを知っていなくてはならないのではないかなと思う。
 
私は野生動物の纏うこの警戒感が好きで、本当に美しくて愛すべき姿だと思う。


25.7.14

静かな夏*スピッツベルゲン島

日本では梅雨も終わり、これからが本格的な夏になろう、というところだろうが、
私の個人的な感覚からすると、この島のあたりではもう夏も最盛期を折り返しているのではなかろうか、
と思う。

人も。自然も。

一面を覆っているチョウノスケソウが散ってくると寂寥感が漂う。


もちろん相変わらずの白夜続きなのだけれど、観光客は6月に比べると減り、
また地元民も長期ホリデー期間に突入し、少し静かになっている。
さらに、あんなに島唯一の小鳥、ユキホオジロのヒナはいつの間にか巣立ちの時を迎え、
アジサシたちの威嚇行動も何かぱったりとなくなってしまったからだ。
これからが最盛期か、と構えていたけれど、世界中どこでも北の地域がそうであるように、
夏の最盛期というのは北であればあるほど分かりにくいのかもしれない。

と、少し暗くなってしまったけれど、こんな書き出しになったのは最近の気候にある。
白夜なのだが、最近の晴天率は異様に低い。
6月以降、快晴の日はおそらく2日程度、晴れたねと言えるのが5~7日程度、他はすべて曇り、ないし雨である。特にここ数日は激しく風が強い。

午後9時の虹。この日はずっと強風で雨だった。


こんな話をしていると、地元の人が例年こんな感じなのだ、と教えてくれた。
6~7月までは曇りが多く、8月になってから晴れの日が増えてくるらしい。
オゾンホールの下にいる身としては太陽サンサンなのもちょっと怖いけれど、
やっぱり万年雪が青空の下に輝いている光景は心が澄むような気がしてやっぱり好きだ。

26.6.14

『島の花』スバールバルポピー*スピッツベルゲン島

花壇や畑のないこの島では、家の外に広がるツンドラ草原がそのまま島全体にとっての庭である。
雪解け間もないころはコケが水を吸ってスポンジのような状態だけれど、夏に差し掛かるとその水も花が徐徐に姿を見せるようになる。その花の種類については前にも少し書いた。

けれど、島の花が咲く期間は短く、その多くは高緯度に位置するために、高地性で丈は低く、小さな花をつけるものが多く、近寄らないと気づかないものが多い。

しかし、そんな花の中にも大きくてひときわ目立つ花が一種だけある。
その名もスバールバルという名の付いた、このあたりの固有種スバールバルポピーだ。

Popaver dahlianum ssp. polare

それほど植物に詳しくない人でも、ポピーを見たことのある人なら一目でその仲間であるとわかるであろう、独特の長く柔らかい、たくさんの短い毛が生えた茎と、大きな花弁が特徴の花で、高さは5~30cmほど。

Longyearflora-A basic field guide (Longyearbyen feltbiologiske forening 2012 発行)によれば、砂利場や崖錐物(急傾斜地から剥がれ落ちた岩屑が下の斜面に堆積して出来た地形)に多く見られるそうで、私は住宅近くの道路わきの砂利斜面で多く見かけた。


ちなみにこの花、黄色の個体もある。



住宅のそばでさりげなく、でもすっくと立って凛と咲く姿は、まさにこの島の花にふさわしい夏のスバールバル諸島を代表する花である。

22.6.14

トナカイが暮らす場所*スピッツベルゲン島

トナカイの名前を知らない人はいないだろうが、もちろん日本には野生のトナカイはいない。
日本にいる二ホンシカは同じシカ科ではあるがシカ亜科というグループに入る(カモシカはシカと名がつくけどウシ科)。
トナカイはシカ科オジロジカ亜科というグループだ。

スバールバルトナカイ(Rangifer tarandus platyrhynchus

ヨーロッパのトナカイの生息地は少なく、スカンジナビア半島の一部、ロシアと北極圏周辺に限られる。
この島にいるトナカイはスバールバルトナカイと呼ばれるトナカイのグループの7種類のうちの一種(Rangifer tarandus platyrhynchus)。

トナカイの仲間は分布する地域によって、外見上でもわかるそれぞれの特徴を持っている。
一般的なトナカイをイメージしてから写真を見るとわかるかもしれないが、このスバールバルトナカイの特徴は、脚が短い、小型、顔が円っぽい。…なんだか文字で羅列すると小さい女の子の特徴を書いているよう。


基本的に、私は特に大きな動物には怖くて近づけないのだが、似たようなシカの仲間ではエゾシカしか見慣れていなかったので、骨格はしっかりしているのに、思ったより小さい身体で、でも大きな足を持ち、牛のように体を揺らす歩き方、というなんともアンバランスなこの生き物に大きな興味と親しみを感じた。

シカ科シカ亜科エゾシカ(27.02.2013)

以前、エゾシカの近くで暮らしていた場所では、エゾシカは様々な要因で増える傾向にあって、解決のために試行錯誤の取り組みをしていたが、ここではどうやらそれほど厄介な生き物ではないようだ。
この島には、エゾシカでいうならヒグマや過去にはオオカミのような天敵はいない。それでも彼らが爆発的に増えないのは、成熟した雌の妊娠率の年ごとの大きな変動(10~90%)と、北極圏という場所特有の、冬の気候の厳しさに左右される死亡率の年ごとの大きな変動、があるからのようだ。
(Norwegian Polar Institute:http://www.npolar.no/en/species/svalbard-reindeer.htmlより)

エゾシカの歴史と同じように、ここに生きるトナカイたちも、かつては狩猟によって劇的にその数を減らした。そして、現在は狩猟の解放は限定的になり、その数は400~1200の間で推移しているという。これから変わっていく地球規模での環境の変化は、今後彼らたちの生き方にどんな影響を与えるのだろうか。

 住宅街のすぐ近くに姿を見せるトナカイ

かつて人間たちは住むことのなかった頃から、この島でホッキョクグマ、ホッキョクギツネとともに生き続ける私たちと同じ哺乳類のうち、一番人間の目に触れる機会が多く、唯一の草食動物であるトナカイたち。
一見、闘争心のない穏やかそうな生き物に見えるけれど、その大きな足からはしっかりとこの島の地面に寄り添う逞しい生命力を感じられる気がする。

21.6.14

頭上に注意!キョクアジサシ*スピッツベルゲン島

夏場のスピッツベルゲン島の海岸沿いを歩くときには、少し気を付けなくてはならないヤツがいる。
その名はキョクアジサシ、Sterna paradisaea(Arctic Tern)だ。


胴体の大きさはハトぐらいだが、翼が細く長い。短く叫ぶような鳴き声と、鋭い赤い嘴。空を自由に飛び回り、アゲハチョウのように羽を大きく後ろに反らせながら着地する様は、世界にいろんな鳥がいれど、なかなかカッコイイ部類に入るのではないかと思う。


そして何といってもその生きざまに興味をひかれる。彼らは世界で最も長い距離を移動する渡り鳥だ。これが名前の由来にもなっているそうだが、一年の間に白夜を求めて南極と北極の間を移動するという、なんとも生きざま自体が謎めいている鳥だ。
一生に換算するとなんと地球と月を3往復もする計算になるそうだ(ナショナルジオグラフィックより
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100113002)。

そんな話を知り、私もそれはそれは興味津々で彼らの到来を待ち、頻繁に浜辺へ出かけた。
野鳥のガイドブックでは例年5月最終週、ないしは6月初週にスピッツベルゲン島にやってくると記述されていたが、今年も例年通りといっていいと思うが、私が初めて観察したのは6月の2週目のはじめだった。

どうしてもその美しいフォルムを写真に収めたい、と思って追いかけていたが、渡ってきたばかりのころは警戒心が高く、彼らはなかなか近づかせてくれなかった。

私がキョクアジサシを初めて確認した日(09.06.2014)

ところが、それから2週ほどたったある日に浜辺に行ってみたところ、様子は大きく変わっていた。
なんと道路わきすぐ近くの地面にたくさんいる…。しかも近づいても逃げない…。
これがキョクアジサシの繁殖か、と思いながらも、ようやく思うような写真が撮れる、と心は躍りながら、近づきすぎない程度で一通り写真を撮った。

左側が道路、右が道路肩(20.06.2014)

地面で多数の繁殖行動が見られた(20.06.2014)

交尾しているペア(20.06.2014)

その後、再び新たな鳥を探しに歩き始めた。
しばらく何事もなく歩いていたのだが、ふと上空からキョクアジサシの声が聞こえる。
お、と思いカメラを取り出しながら見上げると、鋭い嘴をこちらに向けながら猛然と滑空してくるキョクアジサシ!あきらかに威嚇攻撃されている。
身体を低くしても、早足で退散してもなかなか引いてくれない。殺される訳はないのだが、怖い!
それから数日の間、あのフォルムと鳴き声がトラウマになったのは言うまでもない。

カモメを威嚇するキョクアジサシ

私は物理的な被害はなかったが、彼らに嘴や足蹴りされている観光客の姿も目にした。
スバールバルの自然を楽しむ手引きによると、もし、このような威嚇攻撃を受けそうになった場合には、頭上で棒のようなものを振り、静かにそのエリアから去る、とある。
そして、彼らが多い場所には注意看板と棒が置いてある。使うも使わないも自由だが、何があっても自己責任。ただ、最大限のリスクを排除するための情報と手段の提供をして、ここの自然を多くの人により楽しんでもらう。とても合理的な仕組みだ。

キョクアジサシが営巣するエリアに設置されている注意看板と棒


スバールバルでの野生動物との付き合い方の手引書
(EXPERIENCING SVALBARD'S WILDLIFE/Norwegian Polar Institute 2014発行)
の一ページ。右上がキョクアジサシに威嚇される人の写真。

どんなに体が小さい動物でも威嚇攻撃をする野生動物は怖ろしい。それは相手の本気だから当たり前だが、それを怖いと感じる瞬間、自分自身も動物のヒトに戻れる気がして、どこかでわくわくしている自分がいるのだ。
人間とは本当に不思議な生き物だ。