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30.3.20

手の届く広さの世界の季節の移ろいと*閉ざされる街



2019年の年末から世界では疫病が流行して、私たち人間たちは多かれ少なかれ、今までの生活をしばらくの間ある程度変えざるを得なくなった。
 しばらく間、 というのがどれくらいのスパンなのかはおそらくこの地球上の人間の誰も分からない。


私の過ごしていた街でも公共施設が閉まり、飲食店が閉まり、小売店が閉まり、他地域との境界線もついには閉ざされた。
私は自動車も持っていないので、普段の週末休みに越境することなどは滅多にないのだけれど、人間というのは不思議なもので、制限される生活空間を言い渡されると焦燥感に駆られたり閉塞感を覚えるものなのだ。

例えば多くの国境が閉まる前、私は今夏のハイキングの計画を無意識に急いて立てようという衝動に駆られたり、小売店が閉まる前にはもう少しのところで割引になっていた一人用テントを買うところだった。

日中を自分の部屋以外の屋内で過ごす日課を送っていた私は、それ以前はたいてい徒歩や自転車で行くことが多く、それが日常の中でのいわば自己と自然空間とをつなぐ意識を整えるような時間になっていたのだが、それを不意に失ってしまった私は無意識のうちに、以前の生活のそれ以上に外の世界へ助けを求めて出てゆく時間が多くなった。
幸いにも住んでいた部屋は隣に一つホテルがあるだけの工業地帯近くの人気の少ない立地で、犬の散歩やジョギングに来る数人を除けば、感染の危険性がほぼなく気の向くままに歩き回れるところだった。


季節は春に向かう時。日照時間は日に日に長くなり、鳥の鳴き声は日ごとに大きくなる。
迫ってきた不確かな未来を目の前にまず私が思ったのは秋ではなくてよかったということだった。
北半球の比較的高緯度に位置するこの街は、夏に向かって急激に日照時間が長くなる。時には体調を崩す人もいるほどだ。私自身も数度この季節を経験してもいまだに慣れることはできない。年間の日照リズムというのは人が思っている以上に体内の大切なところを司っているのではないかとも思う。


初めて白夜を経験した時を振り返ってみてもそうだ。
初めの数日間はその新鮮な感覚を楽しんでいたけれど、期間が長くなるにしたがって、体のどこかしらにいつも疲れを感じるようになって暗闇を無意識に探すようになった。
極夜はそれよりもさらにダメージは大きかった。夜空に浮かぶオーロラがなければ私はそれを乗り越えることができたか分からない。数週間ぶりに陽の光を再び見た時、世界はなんて美しいのだろうと思った。
どちらも、きっと経験した人にしか分からない。必ずそれが素晴らしいということではない。むしろ私の場合はそれを知ってしまったことによって、多くの他者と分かち合える何かの感覚があの時を境に変わってしまったとも思っている。
太陽はそれほどに私たちの深いところを強い光を照らす。

 3月下旬頃、ある日を境に鳥の声で目を覚ます日がある。朝キッチンの窓を開くと曙色の中に突然今まで聞こえなかった量の鳥の鳴き声が聞こえる日がある。
数日ごとに少しずつその種類は増えていき、ささやきあうような囀りと呼ぶにはふさわしくない、何かの焦燥に駆られているのではないかと思うようなけたたましい鳴き声になってくる。

その声になにかが刺激され、私もその閉塞感からの解放を求めて何かを探すように外へと向かう日々が始まった。

19.9.18

鳥たちの通過する場所・暮らす場所*バルト海沿岸

これは私の個人的な経験からの推測ではあるけれど、ヨーロッパは野鳥愛好家が日本と比べて多い場所だと思う。

聞いたところでは、ドイツでは特にバルト海沿岸の地域に愛鳥家は多いという。
この地域は夏場に多くの湿地性の鳥が見られることもさることながら、春と夏の渡りの季節に、さらに北へと飛んでいく鳥や南へと帰っていく鳥を見られる機会が多いことが影響しているのだろうと思う。


実際、沿岸の街に越してきたときはちょうど初秋だったこともあり、急激に日の出が遅くなる時期に多くの鶴たちがまだ薄暗い朝の行動時間に隊をなして空を横切っていく様子を見たときはその光景に感動したものだった。


北海道の道東地域に暮らしていた時にタンチョウは何度も間近でも見たことはあったが、渡りをしている様子を目にしたことはなかった。近年は道東地方で越冬している個体も多いとも聞く。


ヨーロッパで一般的にみられる鶴(Common Crane / Grus grus)は和名ではクロヅルと呼ばれる。 姿は北海道で見られるタンチョウヅル(Red-crowned Crane / Grus japonensis)とあまり大きな違いは見られないが、和名にあるように、色は明らかに黒ずんでいる。

日本ではタンチョウは色々なモチーフやシンボルとして描かれることが多いが、個人的にはタンチョウヅルのあのはっきりとした白色あってこそなのではないかとも思う。
クロヅルは夏に青々としている草原や畑の中にいてもタンチョウヅルほど強烈な印象はない。

だからと言ってヨーロッパで鶴の人気がないわけではなく、鶴の渡りの状況などを日々刻々と覗けるプラットフォームも存在し、むしろなかなか人々の関心は高い種であると思う。

個人的には、こちらクロヅルは渡りの頃の藁色の草原と赤みを増した太陽光の中でこそ、美しい印象に残る鶴であると思う。


多くの渡り鳥は夏の間をヨーロッパの高緯度地域で過ごし、冬の間はアフリカや地中海沿岸地域などの低緯度・温暖地域で過ごす。
鳥類の起源は低緯度地域であるが、繁殖成功率を上げるために徐々に季節的に高緯度地域へと移動するグループが出現するようになった、と鳥類学で学んだ。

一年に2回も何千キロもの移動をすることは、小さな体の彼らにとって負担にならないはずがない。
それでも彼らに組み込まれた遺伝子と環境からの刺激との相互作用は、彼らに移動しなければならない衝動のようなものを与えるのだろう(一方で気候や環境条件の変化によって数世代で渡りをしなくなることもあるという)。

いったいどこが彼らにとっての故郷なのだろう、いや、そもそもそんな感覚はないのだろうか。
そんなことを思いながら秋の黄金色の中で彼らの渡りを見送る。

7.7.18

水辺の街のひと時*北ドイツ湖水地方


あるひと夏を私は北ドイツの水辺の小さな街で過ごした。
これまで過ごしたことのあるドイツとは違い、文化を売りにした観光地ではなく保養地という名がふさわしい土地だ。

家を出て10分もすれば湖にたどりつく。
ここから氷河地形の作った丘陵地帯の間の広い青空を映す水面は、どんな時も心を穏やかにしてくれる。

人口6万人ほどの街は旧市街は戦時中にすっかり破壊され、DDR時代に建てられた‘味気のない’街並みになっている。
けれど私は、この‛味気の無さ’、と中心部から徒歩でも20分とかからない水辺の緑あふれる景観との対比がなかなか気に入っていて、街にも水辺にも毎日のように歩きに出た。


湖の岸辺には小さな人工島があるが、ここには戦時中に水爆の実験工場が建てられていたのだが、現在は限られたダイバーが近づく他は水鳥の楽園となっている。


水浴はもちろんのことだが、カヌーや釣り、ビーチバレーなど水辺には様々なレジャーをする人々で毎日賑わう。


そのほか、特に旧東ドイツでは一般的だったFKK(Freikörperkultur)裸での日光浴が認められている場所がいくつかあり、はじめ何も知らずにその場所を散歩で通った私は大きな衝撃を受けた。
なんだか服を着て歩いている自分が恥ずかしくなり、そこに一糸まとわずに気持ち良く人たちが羨ましく思える不思議な感覚になった。
どこかで古くの日本もそんな文化があったということを聞いたことがある。

時間の流れというのはどこも同じはずなのに、時々陽の光を存分に浴びながら夜10時過ぎまで明るい夜をたっぷり楽しんでいる人々を見て、どこか自分が損をしているような気分になった。


体に浸み込んでいる体内時計、まだまだ季節の変わり目の急激な日長の変化にはどうにもなれることができない。
それでも時間は世界中同じように流れていく。

15.4.17

白亜の断崖とブナの森*リューゲン島


ドイツの北、バルト海に面したところにあるリューゲン島。
古くからの保養地・観光地であり、1990年にドイツで最小面積の国立公園として登録され、2011年にはそのうちの一部のブナ林が世界自然遺産に登録されている。

日本には白神山地がブナ林として登録されているが、そのころはヨーロッパで極相植生として一般的なブナ林の存在の貴重性が見直されていた時期だったという。

ちょうど白神山地が世界遺産に登録されたころに感受性の高い子供時代を過ごしていたせいか、そのブナ林の美しい姿を東北の神秘的な信仰文化とともにメディアを通してに触れることも多く、一度は訪れてみたいという気持ちをずっと持っていたが、ついに叶わず、先にヨーロッパの方のブナ林を目にすることになった。

駅から出るバスに乗り降り立った森を目にした初めの印象は、自分が想像していたよりも鬱蒼とした感じはなかった。ただ、これには大きく訪れた季節も関係しているだろう。
スプリングエフェメラルと呼ばれる類の植物たちがちらほらと咲く他は林床の植物は少ない。


特にベリー類の低木や日本の笹のような草本類がないのが、まるで誰かがあらかじめ整備したような景色で、初めて目にするものとして少し奇妙に見えた。
ヨーロッパの大部分はその昔ブナ林だったと考えられている。今のように開拓が進んでいなかった時代の風景を想像してみる。

童謡の中では暗く何か魔物のようなものが住んでいる場所として描かれることの多いヨーロッパの森。
日本の生い茂る森とはやや異なるが、その整備されたような林床の美しさが、かえってどこかその不気味さに通じる空気を作っているように思えた。


あらかじめ知っていた光景だとは言え、日本人の私にはどうしても驚かされる、はっと息をのむ組み合わせの白亜の断崖とブナ林。
カスパーフリードリッヒが見事な構図で描いた絵画が有名だが、どの構図から見ても強烈に目に焼き付けられる景観だった。


海抜で平均約100mの高さからなるリューゲン島の白亜の断崖は、その名の通り、白亜色と呼ばれる白のチョーク色なのはもちろんのこと、今から約1億4500万年~6千500万年前の白亜紀のうちの後期(約7千万年年)に形成されたものである(Nationalpark Jasmund: http://www.nationalpark-jasmund.de/index.php?article_id=97 より)。
白亜紀といえばパンゲア大陸の分裂によって新たな大陸の形成が進み、恐竜などの爬虫類が地球上で優占していた時代である。
極地の氷は存在せず今の気候よりだいぶ暖かかったらしい。だからなのか、個人的には白亜の色からはなんとなく暖かい地方のイメージが湧 く。

1億年近い時間幅の中で形成されたといわれてもなかなかピンとはこないが、古生物や歴史を感じながら歩いてみるとまた景色の見え方も変わるだろう。
白亜自体が古生物の遺骸から形成されたことからも想像できるように、化石を集めるのにもヨーロッパでは有数の魅力的な場所である。


少し歩いていくと少しずつ暗くなっていく森。
まだ芽吹きだしてそう日もたっていないので、おそらく葉が茂ったころはだいぶ薄暗くなるのだと想像する。
途中何組かの旅行者ともすれ違うが、日本の国立公園と比べるとはるかに少ない数だろう。


警告看板はあるものの、柵は展望地を除いて設置されておらず、自己責任という言葉が頭をよぎる。断崖付近にはいつ重力に引っ張られて行ってもおかしくない、宙に止まったままの倒木もあり、脆い地盤であることは容易に想像できる。

私たちが生きている時間では起こりえないであろうが、次の一億年後にはこの島はもうなくなっているのかもしれない。
自然なサイクルで生じる環境変動と、人によって拍車のかかる環境変動と。
当たり前だと思っている目の前の風景と人の時間軸を時々照らし合わせてみて考えること。

27.3.16

イースターハイキング*ドレスデン

中央ヨーロッパではキリスト教のイースターのお祭りごろから春の訪れを感じるようになる。
スノードロップ、スプリング・スノーフレーク、クロッカスから始まり、
日本では園芸植物となっているような野草が草原で一斉に芽吹く様子は、
特に自然相手の仕事をしていた私にとっては圧巻でしかない。



一方で、それまで短かった日照時間が急激に長くなり、慣れない私はこの時期は頭痛に悩まされる。
"Migräne"は和訳では単純に"偏頭痛"なのだけれど、ヨーロッパ地域の人いわく、かなり気候の要因が関係しているらしい。
実際、私も元来の頭痛持ちではないので、こちらの気象には疎いけれど、今のところはその推測はあながち間違いではないと信じている。


話は戻って、イースターは芽吹く小枝に卵のモチーフとうさぎがシンボルになる。


イースター休暇は人々はクリスマス同様、家族のもとで過ごすことが多いようだ。
天気が良ければ、みんなそろってハイキングに繰り出す。


でも、ここはやはりドイツ。
みんな集合したら出発前にまずゼクトで乾杯。
ほろ酔いになってきたところで、舌も滑らかにお喋りしながら出発。


途中の休憩はもちろんイースターのうさぎのチョコレートと大人にはリキュール。


私が気にいったのは卵黄とクリームで作られているEierlikör(アイアーリキュール)。
日本で言うならば玉子酒。ワッフルコーンに注いで、それごと食べる。
カスタードクリームにアルコールが入ったような印象。

この日のハイキングは老若男女総勢13人で距離は8km。
以前は一日中歩いていたらしい。

今は以前ほど近くなくなった親戚関係なのだそうだが、こうした年数回の交流で近況報告をしながら、お金だけではない助け合いができる関係を築くことが出来ているのではないかと思う、
と一緒に歩いてくれた60代半ばの人柄のうかがえる朗らかな笑顔の男性は話してくれた。



以前イスラムの友人と話していたとき、ドイツ人は交友関係が表面的で全てお金と書類でしか解決しない、と嘆いていた。
イスラム文化は私からすれば驚くほど親切な、逆に言えば私には距離感が少しつかみにくい、"密接な人間関係によってつくられる社会"だと思う。

文化の発展によって人間関係の価値観は変わってしまうものなのだろうか、と時々思うことがある。
でも、先の男性が言ったような積極的に関係を維持する努力、あるいは自発的なそういう感情。
結局、どんな人間にとってもその価値観はそれほど変わらないのではないのではないかなという楽観と願い。

15.11.14

過去と未来がある街*ベルリン


何かに惹かれてやってきたドイツ。
だから、絶対にこの目で見て知っておきたかった、首都ベルリンのこと。

そう思い続けてやっと来れたベルリンは、想像していたよりもずっと優しくて、落ち着いた街でした。



季節は秋の真っただ中。

道路には街路樹の落ち葉がたくさん降り積もっていた。


今までヨーロッパを歩いてきた街の中で、日本人が憧れた西洋はパリだったんだと思っていた
けれど、ああドイツにもそんな場所があったんだ、そう思えたのがここ、ベルリン。
森鴎外の舞姫の冒頭を思い出して無性に読みたくなった。
 
 
でも、日本と同じように、もしかしたらそれ以上に70年前に一度壊れてしまった街。
「壁」というものが作られ、25年前までその戦争の名残を残していた。
その「壁」は、70年前の戦争の名残と言うよりは、
それ以降の世界史の移り変わり象徴だったのだと思うけど、それでもこの街は分断され、
今は同じ国の住民同士で違う歴史をたどってきた。
 
 
私はその戦争を知らない。
私はその時代を知らない。
 
 
きっとどんなにその時代のことを調べたって、これっぽっちもそこに暮らしていた
人のことなんてわかるはずはないんだろうけれど。
それでも私は、今その時代に生きていた人たちのいる街で暮らしてる。

14.10.14

実りのブドウ畑の記憶*リューデスハイム

 
 
2013年10月初旬。ドイツはライン川のほとりのリューデスハイム。
ワイン好きの人であれば知っているであろう、ここはドイツワインの一大産地だ。
とくにここで有名な品種は収量の最も多いリースリング。
フルーティーな香りと酸味が特徴の白ブドウである。


リューデスハイム周辺のラインガウ地方は、南向きの急斜面の丘が広がることで、
美味しいワインを作るためのブドウを生産するのに十分な日射量を受けることができる。
また、ライン川からの太陽光の反射も加わることで、「太陽の2度当たる場所」
とも呼ばれてきたように、古くからワインの好生産地となってきた。

そんなワイン産地が一段と活気づきはじめるのがこの9月下旬から10月にかけての季節。
丘一面のブドウ畑ではブドウの実が輝き始め、葉は少しずつ色づき始める。


街では昨年収穫されたブドウによる発酵途中のワインの新酒、
フェダーヴァイザー(独語:Feder Weisser=白い羽)が振る舞われ、
今年のブドウの収穫への期待も高まってくる。

Feder WeisserとZwiebel kuchen(玉ねぎのキッシュ)のセット
飲めるのは例年9月下旬から10月半ばころまで

ドイツといえばビールのイメージが強いが、この地方ではむしろワインのほうが好まれていて、
カフェでももっぱら昼間からワインを飲んでいる人の姿のほうが目につく。

ワインの地産池消の街。
日本の高いワインのイメージからするとなんともすごく贅沢な気がするが、
日本のように質の良い水を豊富に得ることができなかった古きヨーロッパでは、
ワインは保存できる水代わりに飲まれていたという話も聞く。

もちろん今ではそんなことはないのだが、
それでも日常に欠かせない飲み物であることには変わりがない。
ワインの格付けにはテーブルワインという位置づけもあるくらいだ。


ブドウの収穫作業には様々な地域・国からの労働者が携わることも多い

ところ変わればではあるけれど、もしかしたらこのリューデスハイムのブドウ畑の広がる風景は、
日本人にとっての茶畑のようなドイツ人にとっての心の原風景なのかもしれない、
とマルクト広場のワインスタンドでグラスに注がれた輝く黄金色のワインを片手に、
和やかな時間を過ごすドイツ人の旅行者たちを見ながら思った。

13.10.14

魔女伝説*ハルツ山地


「春の終わりに魔女たちの集う山がある。」

2013年10月。
そんな話を聞いて、とても興味を持っていた場所。ハルツ地方、ブロッケン山。
行くことができたのは結局秋になってしまったけれど、おかげで予想外の美しい光景を楽しめた。

ハルツ地方には日本人に知られているあまり大きな観光の街はない。
だが、保存状態の非常に良い木組みづくりの街並みや、東西ドイツ時代の境界にあったために残されている豊かな自然のため、ドイツの人たちには人気の休暇地域である。
人口の多い最寄りはヒルデスハイム(Hildesheim)という街。

私が宿泊したのはヴェルニゲロデ(Wernigerode)。
閑散期に入ったためか、ホステルは8人部屋に2人のみであった。
到着した日は生憎の雨。
そんな中、美味しい夕食を探し求めて間違えて街と反対方向に歩いたのは良い思い出。
次の日まで濡れたズボンを干すことになった。

翌朝は快晴。
目的のハルツ山へ。正直こんなにも紅葉が美しいとは思っていなかった。


それは北海道と似ていて赤は少ない。
黄色と常緑樹の緑と山にかかる霧が怪しく美しい景色を作りだす。



もしかしたら本当に私はどこかの絵本の1ページに迷い込んでしまったのかもしれない。
頂上は生憎の霧だった。
でも、なんだかさらに神秘性が増した気がして、悔しさよりも満足感でいっぱいになった。



電車でのアクセスはやや悪いが、ドイツの美しい街並みを初めて見てみたい人には、
私はローテンブルクよりも断然、Wernigerodeをおすすめする。

街ではアジア人は皆無。
近くのQuedlinburgも木組みのドイツの歴史の奥深さを感じられてまた良い。
自分にとっては初めての場所なのに、日本の飛騨高山にいるようななんだか懐かしい気分にさせられる場所なのだ。



どこにいてもいろんなことを考えさせられる季節だけれど、
鮮やかな紅葉と異国なのになぜか郷愁をさそう景色に心をはげしく揺さぶられる。


秋、深まる。