まだ11月だというのに、その日は朝からマイナス15度となった。
マイナス15度以下になると、音が吸い込まれていくような気がする。
なんとなく気持ちもすっきりするこの寒さが好きだ。
同じ雪の景色もいつもと同じではなくなる。
北海道といえどもなかなかこの気温のまま一日が終わるのは珍しい。
こんな日は思いっきり冷たい空気を吸いこんで頭をすっきりさせる。
戻る家の中の温かさにほっとする。
これが北海道の冬の寒さの中にある何よりもの温かさ。
世界って言葉は大げさだけれど、今日も私はこの世界で生きていかなければならない。 学んで、働いて、旅をして、誰かと出会って、泣いて、笑って… 現代はお金と時間と動ける体さえあれば文明の利器を使ってあっという間に世界を渡り歩けるけれど。 ほんの少し立ち止まって、その空間から少し深く何かを探しだして、書き留めておきたい。
26.11.15
21.10.15
海と山の賑わう秋*知床
日本の最後の秘境とも呼ばれる知床。
観光客で賑わうのは夏だけれど、暮らす人間、生き物にとって一番賑やかなのは秋だろう。
知床の夏は短く、気がつけば緑の木々が季節の変わりとともに、午後の陽光のようなオレンジに照らされるようになったかと思えば、その光を吸い込むがごとく日に日に色づきを増してゆく。
ヤマモミジのような一本で存在感のあるグラデーションを作る樹木は少ないが、
トドマツなどの常緑針葉樹とミズナラやカシワの黄、ヤマブドウやツタウルシの赤、その他にも柔らかな中間色を彩る様々な木々。
ひとつの風景としての柔らかな紅葉が知床の秋の色。
近づいてみればたくさんの果実やキノコが目につく。
コケモモ、ヤマブドウ、サルナシ、オンコ、どんぐり(ミズナラ、カシワ)、マイタケ、シイタケ、ハナイグチ…
秋の深まりとともに、森からはエゾシカの奇妙なラッティングコールも聞こえてくるようになる。
命をつなぐ、繁殖期の牡鹿の求愛行動の一つだ。
山だけではない。
知床は山を下ればすぐに海。
夜の海にはイカ釣りの漁火も灯る。
人々は秋のご馳走に舌鼓。
もちろん、これらは森に住む生き物たちの命もつないでゆく。
命がきらめく季節が春ならば、命が輝く季節が秋ではないかと思う。
少しづつ近づいてくる残酷なほど美しい次の季節があるから、
生の躍動が切ないぐらい激しく心に響いてくる。
16.9.15
ワインが生み出す空間*札幌
札幌の秋の風物詩となりつつある、『さっぽろオータムフェスト』。
中心部の大通公園で半月に渡って開催される、北海道の味覚が一堂に集結するイベントだ。
なかでも私が気になっていたのは、北海道が生むワイン。
北海道では温暖化の影響を受けて、年々ワイン用ブドウの栽培がしやすくなってきているそうだ。
品種としては白はドイツのケルナー、赤はオーストリアのツヴァイゲルトなどが主流のよう。
他の国産ワインよろしく、やはりヨーロッパでのワイン祭りと比べてしまうとなかなかいいお値段なのだけれど、
これだけの期間に、これだけの種類を楽しめる立ち飲みバーが設置されるというのはすごいことではないだろうか、と思う。
ヨーロッパで出会った、「ワインが身近にある空間」は私にとっては衝撃的で、日本で持ち続けていた、ヨーロッパの手の届かない高級感が良い意味で崩れた瞬間でもあった。
日本でもワインは徐々に広まって、最近ではバル(なんでスペイン語なのだろうといつも思う…)も増えて気軽には飲めるようになってきてるとは言っても、
日本酒やビールと比べるとまだまだ高級品でおしゃれなイメージが強く、ある種のステータスにもなっているように思う。
価格が変動しない以上、なかなか価値観を変えることは難しいのだろうけれど、
ワインには他のお酒にはない、空気を滑らかにする特別な魅力があると私は思っている。
優雅、特別、上品、お洒落。
決して悪い言葉ではないのだけど、もっと身近な優しい言葉が似合う魅力が。
大げさだけど、日本人に足りない何かがそこから生まれるのじゃないかなんておもってしまったり。
余市・ツヴァイゲルトレーベ&道産素材を使ったペスカトーレ
ドイツ・リースリング&道産チーズ
十勝・清見、山幸&ミュンヘナーヴルスト、ザワークラウト
ワインの歴史はまだまだ浅く、質も量も磨かれていくのはこれからなのだと思う。
でも、ワインを取り巻く環境が特に北海道には豊富にそろっている。
多くの食材と、何よりも物理的に大地を感じる広大な空間。
このお祭りにはそんな魅力的な空間のカケラがあるように思う。
それがなんだか今の私はすごく嬉しかった。
7.2.15
氷の街*釧路
日本の東北の果て最大の街、釧路。
かつては炭鉱と漁業の街として栄えたそうだが、今はどちらかというと道東の観光拠点というイメージが強い。
北海道の中でも特に冷涼で、夏でも25度を超える日は珍しく、避暑地としてにぎわう。
一方で冬場は他の場所と比べるとそれほど冷え込まないのだが、冬は寒いだけという印象が強いらしく、観光客はぐんと減る(これは北海道の他の場所にも言えることだが)。
街を見るのなら、私は冬の釧路のほうが好きだ。
その理由は街の中に溶け込んでいる釧路の建築物にある。
毛綱毅曠(もづなきこう)設計のフィッシャーマンズワーフ、市立博物館、市内のいくつかの校舎はじめ、幣舞橋上の四季の象などがそれだ。
これらから受けるのは、城や銀行、商館などといった経済や権力の盛衰の流れを強く考えさせられる過去の繁栄の遺産とは違う、どちらかと言えばバルセロナのガウディの作品群に近い、時代を超えて大地に作品を根付かせようとする作家の表現力を追求する強い姿勢だ。
雪や氷に他のものが覆われることで、それらはより強い主張を訴えかけるように感じるのだ。
それは、人のそばにあるのに、今の人の生活とは一線を画した特別な空間を創りだしているように感じる。
3年間過ごしたこの街には、例えば同じ道東にある、知床のような現生の自然を感じさせる圧倒的な景色はない。
むしろ、人の生活風景がそれを凌ぐ、道東の生活圏の中心となる大きな都市である。
けれど、氷に閉ざされどんよりと曇る冬空のもと、自然と人の手によって創られた創作物との絶妙な組み合わせが、ふとまるでここではないどこか別の世界に誘ってくれるような雰囲気を孕む、日本最北の芸術の街だとも思ってる。
夜の釧路川の闇と蓮氷の淡く光に照らされるオレンジに、吸い込まれ酔わされる。
かつては炭鉱と漁業の街として栄えたそうだが、今はどちらかというと道東の観光拠点というイメージが強い。
北海道の中でも特に冷涼で、夏でも25度を超える日は珍しく、避暑地としてにぎわう。
一方で冬場は他の場所と比べるとそれほど冷え込まないのだが、冬は寒いだけという印象が強いらしく、観光客はぐんと減る(これは北海道の他の場所にも言えることだが)。
その理由は街の中に溶け込んでいる釧路の建築物にある。
毛綱毅曠(もづなきこう)設計のフィッシャーマンズワーフ、市立博物館、市内のいくつかの校舎はじめ、幣舞橋上の四季の象などがそれだ。
これらから受けるのは、城や銀行、商館などといった経済や権力の盛衰の流れを強く考えさせられる過去の繁栄の遺産とは違う、どちらかと言えばバルセロナのガウディの作品群に近い、時代を超えて大地に作品を根付かせようとする作家の表現力を追求する強い姿勢だ。
雪や氷に他のものが覆われることで、それらはより強い主張を訴えかけるように感じるのだ。
それは、人のそばにあるのに、今の人の生活とは一線を画した特別な空間を創りだしているように感じる。
3年間過ごしたこの街には、例えば同じ道東にある、知床のような現生の自然を感じさせる圧倒的な景色はない。
むしろ、人の生活風景がそれを凌ぐ、道東の生活圏の中心となる大きな都市である。
けれど、氷に閉ざされどんよりと曇る冬空のもと、自然と人の手によって創られた創作物との絶妙な組み合わせが、ふとまるでここではないどこか別の世界に誘ってくれるような雰囲気を孕む、日本最北の芸術の街だとも思ってる。
夜の釧路川の闇と蓮氷の淡く光に照らされるオレンジに、吸い込まれ酔わされる。
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