世界って言葉は大げさだけれど、今日も私はこの世界で生きていかなければならない。 学んで、働いて、旅をして、誰かと出会って、泣いて、笑って… 現代はお金と時間と動ける体さえあれば文明の利器を使ってあっという間に世界を渡り歩けるけれど。 ほんの少し立ち止まって、その空間から少し深く何かを探しだして、書き留めておきたい。
15.4.17
白亜の断崖とブナの森*リューゲン島
ドイツの北、バルト海に面したところにあるリューゲン島。
古くからの保養地・観光地であり、1990年にドイツで最小面積の国立公園として登録され、2011年にはそのうちの一部のブナ林が世界自然遺産に登録されている。
日本には白神山地がブナ林として登録されているが、そのころはヨーロッパで極相植生として一般的なブナ林の存在の貴重性が見直されていた時期だったという。
ちょうど白神山地が世界遺産に登録されたころに感受性の高い子供時代を過ごしていたせいか、そのブナ林の美しい姿を東北の神秘的な信仰文化とともにメディアを通してに触れることも多く、一度は訪れてみたいという気持ちをずっと持っていたが、ついに叶わず、先にヨーロッパの方のブナ林を目にすることになった。
駅から出るバスに乗り降り立った森を目にした初めの印象は、自分が想像していたよりも鬱蒼とした感じはなかった。ただ、これには大きく訪れた季節も関係しているだろう。
スプリングエフェメラルと呼ばれる類の植物たちがちらほらと咲く他は林床の植物は少ない。
特にベリー類の低木や日本の笹のような草本類がないのが、まるで誰かがあらかじめ整備したような景色で、初めて目にするものとして少し奇妙に見えた。
ヨーロッパの大部分はその昔ブナ林だったと考えられている。今のように開拓が進んでいなかった時代の風景を想像してみる。
童謡の中では暗く何か魔物のようなものが住んでいる場所として描かれることの多いヨーロッパの森。
日本の生い茂る森とはやや異なるが、その整備されたような林床の美しさが、かえってどこかその不気味さに通じる空気を作っているように思えた。
あらかじめ知っていた光景だとは言え、日本人の私にはどうしても驚かされる、はっと息をのむ組み合わせの白亜の断崖とブナ林。
カスパーフリードリッヒが見事な構図で描いた絵画が有名だが、どの構図から見ても強烈に目に焼き付けられる景観だった。
海抜で平均約100mの高さからなるリューゲン島の白亜の断崖は、その名の通り、白亜色と呼ばれる白のチョーク色なのはもちろんのこと、今から約1億4500万年~6千500万年前の白亜紀のうちの後期(約7千万年年)に形成されたものである(Nationalpark Jasmund: http://www.nationalpark-jasmund.de/index.php?article_id=97 より)。
白亜紀といえばパンゲア大陸の分裂によって新たな大陸の形成が進み、恐竜などの爬虫類が地球上で優占していた時代である。
極地の氷は存在せず今の気候よりだいぶ暖かかったらしい。だからなのか、個人的には白亜の色からはなんとなく暖かい地方のイメージが湧 く。
1億年近い時間幅の中で形成されたといわれてもなかなかピンとはこないが、古生物や歴史を感じながら歩いてみるとまた景色の見え方も変わるだろう。
白亜自体が古生物の遺骸から形成されたことからも想像できるように、化石を集めるのにもヨーロッパでは有数の魅力的な場所である。
少し歩いていくと少しずつ暗くなっていく森。
まだ芽吹きだしてそう日もたっていないので、おそらく葉が茂ったころはだいぶ薄暗くなるのだと想像する。
途中何組かの旅行者ともすれ違うが、日本の国立公園と比べるとはるかに少ない数だろう。
警告看板はあるものの、柵は展望地を除いて設置されておらず、自己責任という言葉が頭をよぎる。断崖付近にはいつ重力に引っ張られて行ってもおかしくない、宙に止まったままの倒木もあり、脆い地盤であることは容易に想像できる。
私たちが生きている時間では起こりえないであろうが、次の一億年後にはこの島はもうなくなっているのかもしれない。
自然なサイクルで生じる環境変動と、人によって拍車のかかる環境変動と。
当たり前だと思っている目の前の風景と人の時間軸を時々照らし合わせてみて考えること。
25.12.16
神話の世界*エフェソス・トロイ
自分の中での歴史の時間軸というのは誰にでもなんとなくあるものではないかなと思う。
私の場合は、ヨーロッパのそれをつい最近まで割と遠いところに位置付けていたので、ベルリンのペルガモン博物館で初めてその壮大な遺跡を間近で見たのは、その時間軸が大きく揺さぶられる衝撃的な機会だった。
それらと比べると、それまでの数年間で初めて日本を出てヨーロッパでとても昔のものと感じてきた建築物たちがいかに新しいものと感じることか。そして、そのような果てしない時代を超えて目の前にあるそれらの彫刻に、遠い時代に生きた人々たちを想像する。
トルコへの旅を考えた大きな理由の一つがその時の経験だった。
広大な国土のためにそのすべてを回ることはできない中で選んだ二つの遺跡。
エフェソスとトロイ。
トロイ遺跡はドイツ人考古学者シュリーマンが、、ギリシャ神話の『トロイの木馬』を歴史の事実として“こちらの世界と繋ぐこと”を夢見て発掘にこぎつけた、なんとも研究者魂を体現したような誕生秘話のある遺跡である。
周りには全く何もない野原の中の丘にある規模としては小さな発掘地。
それでもこの遺跡が持つ意味は、その神話や発掘までのストーリーを知ってしまうととても大きく感じる。
エフェソス遺跡はトロイと比べるとかなり大規模で一つの街である。
遺跡巡りに慣れていない私にとっては、道端にごろごろとそのままに転がっているそれらの一部も印象的だった。
野外博物館というよりは、あまりにも現実感が無くてむしろテーマパークのように思えてしまう。
それでも青い空と白い遺跡の数々。
やはり遠い異国の箱の中で見るより、そこにあるがままを見るということは、遥かに感ずるものがあった。
トルコでは観光地には猫である。
遺跡と猫。少し奇妙な組み合わせではあるが、穏やかな今と古代がここで平和に繋がっていることのひとつの象徴のような光景だ。
今この瞬間、人類の歴史を多く育んできた近隣の長い歴史を持つ地域では、今の平穏と神話の足跡が同じように破壊され続けている。
そうやって人の力や、あるいはそうでなくても自然の力で過去の遺物は壊されていき、その後の時代へと繋がっていかないものの方がこの地球の上にははるかにたくさんあるのだろう。
目に見えるもの、形あるものはいつか必ず終わりを迎える。
大切なものは心に刻み記録していくこと。
そういう風に生きていきたいと思った。
私の場合は、ヨーロッパのそれをつい最近まで割と遠いところに位置付けていたので、ベルリンのペルガモン博物館で初めてその壮大な遺跡を間近で見たのは、その時間軸が大きく揺さぶられる衝撃的な機会だった。
それらと比べると、それまでの数年間で初めて日本を出てヨーロッパでとても昔のものと感じてきた建築物たちがいかに新しいものと感じることか。そして、そのような果てしない時代を超えて目の前にあるそれらの彫刻に、遠い時代に生きた人々たちを想像する。
トルコへの旅を考えた大きな理由の一つがその時の経験だった。
広大な国土のためにそのすべてを回ることはできない中で選んだ二つの遺跡。
エフェソスとトロイ。
トロイ遺跡はドイツ人考古学者シュリーマンが、、ギリシャ神話の『トロイの木馬』を歴史の事実として“こちらの世界と繋ぐこと”を夢見て発掘にこぎつけた、なんとも研究者魂を体現したような誕生秘話のある遺跡である。
周りには全く何もない野原の中の丘にある規模としては小さな発掘地。
それでもこの遺跡が持つ意味は、その神話や発掘までのストーリーを知ってしまうととても大きく感じる。
エフェソス遺跡はトロイと比べるとかなり大規模で一つの街である。
遺跡巡りに慣れていない私にとっては、道端にごろごろとそのままに転がっているそれらの一部も印象的だった。
野外博物館というよりは、あまりにも現実感が無くてむしろテーマパークのように思えてしまう。
それでも青い空と白い遺跡の数々。
やはり遠い異国の箱の中で見るより、そこにあるがままを見るということは、遥かに感ずるものがあった。
トルコでは観光地には猫である。
遺跡と猫。少し奇妙な組み合わせではあるが、穏やかな今と古代がここで平和に繋がっていることのひとつの象徴のような光景だ。
今この瞬間、人類の歴史を多く育んできた近隣の長い歴史を持つ地域では、今の平穏と神話の足跡が同じように破壊され続けている。
そうやって人の力や、あるいはそうでなくても自然の力で過去の遺物は壊されていき、その後の時代へと繋がっていかないものの方がこの地球の上にははるかにたくさんあるのだろう。
目に見えるもの、形あるものはいつか必ず終わりを迎える。
大切なものは心に刻み記録していくこと。
そういう風に生きていきたいと思った。
27.3.16
イースターハイキング*ドレスデン
中央ヨーロッパではキリスト教のイースターのお祭りごろから春の訪れを感じるようになる。
スノードロップ、スプリング・スノーフレーク、クロッカスから始まり、
日本では園芸植物となっているような野草が草原で一斉に芽吹く様子は、
特に自然相手の仕事をしていた私にとっては圧巻でしかない。
一方で、それまで短かった日照時間が急激に長くなり、慣れない私はこの時期は頭痛に悩まされる。
"Migräne"は和訳では単純に"偏頭痛"なのだけれど、ヨーロッパ地域の人いわく、かなり気候の要因が関係しているらしい。
実際、私も元来の頭痛持ちではないので、こちらの気象には疎いけれど、今のところはその推測はあながち間違いではないと信じている。
話は戻って、イースターは芽吹く小枝に卵のモチーフとうさぎがシンボルになる。
イースター休暇は人々はクリスマス同様、家族のもとで過ごすことが多いようだ。
天気が良ければ、みんなそろってハイキングに繰り出す。
でも、ここはやはりドイツ。
みんな集合したら出発前にまずゼクトで乾杯。
ほろ酔いになってきたところで、舌も滑らかにお喋りしながら出発。
途中の休憩はもちろんイースターのうさぎのチョコレートと大人にはリキュール。
私が気にいったのは卵黄とクリームで作られているEierlikör(アイアーリキュール)。
日本で言うならば玉子酒。ワッフルコーンに注いで、それごと食べる。
カスタードクリームにアルコールが入ったような印象。
この日のハイキングは老若男女総勢13人で距離は8km。
以前は一日中歩いていたらしい。
今は以前ほど近くなくなった親戚関係なのだそうだが、こうした年数回の交流で近況報告をしながら、お金だけではない助け合いができる関係を築くことが出来ているのではないかと思う、
と一緒に歩いてくれた60代半ばの人柄のうかがえる朗らかな笑顔の男性は話してくれた。
以前イスラムの友人と話していたとき、ドイツ人は交友関係が表面的で全てお金と書類でしか解決しない、と嘆いていた。
イスラム文化は私からすれば驚くほど親切な、逆に言えば私には距離感が少しつかみにくい、"密接な人間関係によってつくられる社会"だと思う。
文化の発展によって人間関係の価値観は変わってしまうものなのだろうか、と時々思うことがある。
でも、先の男性が言ったような積極的に関係を維持する努力、あるいは自発的なそういう感情。
結局、どんな人間にとってもその価値観はそれほど変わらないのではないのではないかなという楽観と願い。
スノードロップ、スプリング・スノーフレーク、クロッカスから始まり、
日本では園芸植物となっているような野草が草原で一斉に芽吹く様子は、
特に自然相手の仕事をしていた私にとっては圧巻でしかない。
一方で、それまで短かった日照時間が急激に長くなり、慣れない私はこの時期は頭痛に悩まされる。
"Migräne"は和訳では単純に"偏頭痛"なのだけれど、ヨーロッパ地域の人いわく、かなり気候の要因が関係しているらしい。
実際、私も元来の頭痛持ちではないので、こちらの気象には疎いけれど、今のところはその推測はあながち間違いではないと信じている。
話は戻って、イースターは芽吹く小枝に卵のモチーフとうさぎがシンボルになる。
イースター休暇は人々はクリスマス同様、家族のもとで過ごすことが多いようだ。
天気が良ければ、みんなそろってハイキングに繰り出す。
でも、ここはやはりドイツ。
みんな集合したら出発前にまずゼクトで乾杯。
ほろ酔いになってきたところで、舌も滑らかにお喋りしながら出発。
途中の休憩はもちろんイースターのうさぎのチョコレートと大人にはリキュール。
私が気にいったのは卵黄とクリームで作られているEierlikör(アイアーリキュール)。
日本で言うならば玉子酒。ワッフルコーンに注いで、それごと食べる。
カスタードクリームにアルコールが入ったような印象。
この日のハイキングは老若男女総勢13人で距離は8km。
以前は一日中歩いていたらしい。
今は以前ほど近くなくなった親戚関係なのだそうだが、こうした年数回の交流で近況報告をしながら、お金だけではない助け合いができる関係を築くことが出来ているのではないかと思う、
と一緒に歩いてくれた60代半ばの人柄のうかがえる朗らかな笑顔の男性は話してくれた。
以前イスラムの友人と話していたとき、ドイツ人は交友関係が表面的で全てお金と書類でしか解決しない、と嘆いていた。
イスラム文化は私からすれば驚くほど親切な、逆に言えば私には距離感が少しつかみにくい、"密接な人間関係によってつくられる社会"だと思う。
文化の発展によって人間関係の価値観は変わってしまうものなのだろうか、と時々思うことがある。
でも、先の男性が言ったような積極的に関係を維持する努力、あるいは自発的なそういう感情。
結局、どんな人間にとってもその価値観はそれほど変わらないのではないのではないかなという楽観と願い。
23.2.16
静かな霧と琥珀の街*グダンスク
到着したのは午前6時。
街全体は暗闇と深い霧に包まれていた。
夜明け前のグダンスク駅前
その昔はドイツの占領下でDanzigと呼ばれていた街、ポーランド・グダンスク。
Ostsee(バルト海)に面したこの街は古くはハンザ同盟都市として栄えていたそう。
街の大きさは一日あれば十分歩ける大きさだろうか。
浜辺までは旧市街地から歩いて1時間半ほど。
運河沿いを歩くと霧の中の印象的な日の出を眺めることができた。
霧の向こうには青空が見えるから不思議な感じだ。
どこかで異世界に迷い込んでしまった気分になる。
浜辺まではトラムでも行くことが出来、夏場は多くの人で賑わうそう。
旧市街地の中心部
ライトアップが美しいネプチューンの泉
グダンスクは、タイムスリップしたような感覚になるパステルカラーの旧市街も有名だ。
夜まで治安も良く、様々な国の影響を受けた料理や土産物の並ぶ商店での買い物も楽しめる。
そして琥珀の街でもある。
琥珀の装飾品
琥珀博物館では、琥珀の成り立ちからモダンな装飾品までが並んでいた。
琥珀の生成の仕方や部位の違いによって形状や色がだいぶ異なるのだそう。それを寄木細工のように組み立てたそれらは、個人的には自分の琥珀の見方を変えるのには十分だった。
小さい頃、お土産にもらった蟻の閉じ込められた琥珀の首飾りのことを思い出した。
約4,000万年という途方もない歴史の彼方に生きていたものの遺産と思うと、
ここにいる自分や、目の前の世界の存在をあれこれと考えてしまう。
琥珀の流れつくこともあるという少し黄味の強い砂浜に腰をおろしながら眺める静かな波間は、
3次元にも4次元にも心を揺らす。
場所:
Danzig, Polen
28.12.15
神さま*イスタンブール
「神さま。お願い。
どうか、これが上手くいきますように。」
誰もが一度は思ったことがあるのじゃないだろうか。
多分、私個人的にには何かで理論立てて語れるような明確な神さまはいなくて、
どこかで自分の奥に向けられて発している自分だけの強い思いのカタチ。それが神さま。
ある年の瀬。
イスラムの国では毎日決まった時間に礼拝の声がスピーカーから鳴り響く。
未知の世界ってこういうことを言うのかと感じた時。
自分が何か見知らぬ祈りの渦巻きに飲みこまれていく。
私の中のどこかで、大きな世界情勢の中で、
「神さま=憎しみの正当性を証明するための道具」
のように無意識に捉えるようになってしまっていたその当時。
そんな未知の世界の神さまを中心に置く世界にいることは、
いつも以上にたくさんの神経を使った。
ちょうど世間はクリスマス。
初めてヨーロッパに降り立った時に、この世界に日本人は本当にいるんだろうか。
そう感じた不安を思い出すようなイスラムの国。
ホテルのフロントで「Happy Holidays!」と言われてギョロメを渡された時、
そんなふうに構えていた自分の姿がふと鏡に映るように分かって、ちょっと落胆してしまった。
重要なのは神さまがどうこうではなくて、目の前にいる人をしっかりと見ること。
神さまはいてもいなくても、信じていてもいなくても
本当は何も変わらないはず。
きっと。
9.12.15
見えないものを映す闇*スピッツベルゲン島
頭上には北極星。
それを中心にまわり続ける周極星。
太陽だけの季節の反対の闇だけの世界は、夏には見えなかったものを照らしだす。
例えばオーロラ。
それを見たのは初めてだった。
肉眼で見るのと写真で撮るのとではやはり違う。
その肉眼と写真とのギャップが被写対象として、そそられる要因であると思う。
それは一筋の雲のようで、でも時にあっという間に濃く伸びていき、空全体にたなびく。
分厚いカーテンのようなときもあれば、天の川のような薄っすらと見えるときもある。
いつも違うオーロラの出現の形、たなびき方、そして観察者の心境があり、それをどうにか撮りたくなるのだ。
滞在中の12月は月は山より上に見えることはほとんどなく、
天候が悪い日を除き、光に邪魔されず時間を問わず眺めることができた。
オーロラの出現状況がわかるライブカメラを見られるHPもある。
http://virmalised.ee/aurora-live-cameras/
最低でも闇の世界に1週間ほどいると、この世に光があるのが、不思議に、そしてかけがえのないものに思えてくるようになる。
もうひとつ光の世界にいたときよりも感じたの。
それは闇の中で暮らす人々の温かさ、だった。
場所:
スバールバル スバールバル諸島
26.11.15
マイナス15度の世界*旭川
まだ11月だというのに、その日は朝からマイナス15度となった。
マイナス15度以下になると、音が吸い込まれていくような気がする。
なんとなく気持ちもすっきりするこの寒さが好きだ。
同じ雪の景色もいつもと同じではなくなる。
北海道といえどもなかなかこの気温のまま一日が終わるのは珍しい。
こんな日は思いっきり冷たい空気を吸いこんで頭をすっきりさせる。
戻る家の中の温かさにほっとする。
これが北海道の冬の寒さの中にある何よりもの温かさ。
マイナス15度以下になると、音が吸い込まれていくような気がする。
なんとなく気持ちもすっきりするこの寒さが好きだ。
同じ雪の景色もいつもと同じではなくなる。
北海道といえどもなかなかこの気温のまま一日が終わるのは珍しい。
こんな日は思いっきり冷たい空気を吸いこんで頭をすっきりさせる。
戻る家の中の温かさにほっとする。
これが北海道の冬の寒さの中にある何よりもの温かさ。
場所:
日本, 北海道旭川市
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