27.8.14

光と闇のあるところ*スピッツベルゲン島


8月下旬。

最北の街にも約4か月ぶりの夕焼けがやってきた。
太陽の有難さ、なんていうと少し説教臭いけれど、
一生で太陽のことを考える時間がここで暮らした数か月以上に来るとは思えない。

明けない夜はない。
一番星に願うこと。

当たり前のような癒しや希望を探す愛の決まり文句の詩が、
こんなにもあっけなく嘘になる世界があるなんて知らなかった。

自分の周りにある世界のモノや、コトだって、
ちょっと自分の空間を超えたら全く別のものになってしまうものなんて
本当はきっとたくさんあるんだろう。

私のこの島での生活も終わりがやってきた。
これから私に廻って来るいくつもの光の時間、闇の時間をもっと大切に生きたいと思った。


光の下で生きていける時間はあっという間だ。

23.8.14

石炭の島*スピッツベルゲン島

スピッツベルゲン島は遥か昔、赤道付近にあったのだそうだ。
それが現在は北極圏へ。
今を生きている私たちにはなかなか想像しがたい事実だけれど、
その証拠は、島名の由来にもなったたくさんの尖った山(独語:Spitz=先端、Bergen=山々)の
チョコレートの層のようになった地層を専門家がよくみるとわかるらしい。


そしてそんな層からはその時代にここに茂っていた、
今となっては一本もこの島には生えていない木本植物の化石が見られる。
化石ハンティングがひとつのツアーになっているくらいだ。

その事実はすなわち、人類にとってのエネルギー、石炭もこの島に眠っているということも意味する。
先人たちがその事実を早く知らないはずがなく…
というよりもこの島の開拓の歴史の主要な部分はそこから始まるといってもいい。
そもそもこの島の首都ロングイェールビン(Longyearbyen)というのも
アメリカ人の炭鉱経営者Longyearからきている。※Byenはノルウェー語で街の意味。

街は炭鉱の経営によって始まり、現在も経済を支える主要な産業は炭鉱であり、
電力も石炭である。


ロングイェールビンから内陸に進んでいって30分ほどの隣町ニビェンとの間には、
地元の子供たちに「夏場のサンタクロースの家」と呼ばれる旧炭坑跡がある。
これが日本だったら記念碑作ってとっとと撤去されていたであろう、古めかしさ満載。

調べてみると、最初に設立されたのは1913年。
第二次世界大戦中にナチスによって爆撃され、1943年から1962年まで燃え続けたのだとか。
こんなところにまで戦争の影響があったことにも驚きだが、
18年も燃え続ける石炭のパワーにさらに驚く。


現在のは新しいもので、閉山となる1968年まで使われていたものだそうだ。
かなり険しい斜面ではあるが(多分45°以上)、登ることも可能で自己責任だが中にも入れる。
廃墟マニアと歴史好きにはたまらない場所ではないだろうか。
そして意外と次から次へと人が訪れる


で、最初のサンタクロースの家と呼ばれる由来だが、
サンタクロースがプレゼントを届けるための資金稼ぎに夏場に炭坑で働いているというものらしい。
普通だったら完全に心霊スポットになりそうな場だけれど、
そんなファンタジックな物語が生み出されて過去の正であり負でもある遺産を現在に生かして生活しているところがとても面白くて興味深い。


クリスマス前にはサンタポストが設置され、イルミネーションも着くのだとか。

6.8.14

野生動物が纏う空気*スピッツベルゲン島


 
野生動物と人とのかかわり。
道端でごみを漁るキタキツネ(北海道・羅臼町)
 
ここにキツネがいると聞いて、日本と同じように人の住んでいる場所の近くだから
すぐにみられるだろうと高をくくっていたのだけれど、待てど暮らせど見かける機会がなかった。
日本に住んでいた時は、登山者のバックパックを引き裂いて食べ物を盗んだり、
民家の近くでごみを漁っていたりする様子がよく見られたので、ここでもそんな感じに見られるのかな、と思っていた。
むしろ、それよりもっと食欲旺盛と聞くホッキョクギツネはそれよりもすごいのだろうか、なんて思っていたり。
 
ここでようやくその姿を見かけることができたのは、ここにくらすようになって3か月ほどたつ、
夜の21時ころだった。曇りで少し薄暗い頃だった。
 
窓を開けて空気の入れ替えをしようとしたときに、
窓の外の動く塊を見つけて慌ててカメラを持って外に出た。
 
 
地面を掘ってネズミか何かを探しているようだった。
ふと、私と目の合った彼の赤い瞳。
言葉ではうまくは言い表せないけれど、日本で見たキツネとは違う、完全に人間とは別の世界に住む生き物の空気を感じた。
そして、あっという間に丘を駆け上がり消えていった。
 
この島では昔からキツネは狩猟対象の動物の一つだ。
それが彼らのヒトへの警戒感を高めているのかもしれない。
 
 
人間は野生動物を支配できる立場にあって、
愛でることもできれば、殺すこともできるのは紛れもない事実だ。
 
野生動物だって学ぶことはできる。愛されればもっと近づいていく。
生き易い方向に流されていく。
でも、その生き方は彼らがその種として生きることの破滅へ向かうことを意味している。
 
 
動物と人との距離。
 
野生動物は別の世界で生きている生き物。
支配できる力を持っているヒトだからこそ、その距離がどんなに大事なものなのかを知っていなくてはならないのではないかなと思う。
 
私は野生動物の纏うこの警戒感が好きで、本当に美しくて愛すべき姿だと思う。