12.9.21

一人+行き交う人々*クングスレーデン・ラップランド②

 クングスレーデンには2つの道があるけれど、私が選んだのはそのうちの北のもの。

そしてその中でも10日間ほど取った休暇内で歩き通すことのできるNikkaluoktaからAbiskoまでの行程。7日間きっかりの旅程で計算したのは模範的な旅行者ではないけれど(1-2日程度の予備日を取っておくと精神的に楽で望ましい)、Interrailチケットでの旅だったので、もしどうしても無理だと思ったら3日目の行程で引き返そうと考えていた。

夜行列車と普通列車を乗り継いでたどり着いたのはKirunaという炭鉱の町。炭鉱を広げるために街ごと移動したという奇妙な歴史のある場所だ。

 

北へと向かう車窓からの眺め。色づいた広葉樹林の合間に時々湖が見える。

夜行列車から乗り換えてKirunaまでの道中で、近くにいたアルメニア人とインド人と知り合う。

アルメニア人の方は乗り換えのプラットホームでおもむろに近寄ってきた。どうやらある程度の年齢コードに引っかかるすべての人に声をかけている模様。最初の第一声は君が夜行列車に乗っているなんて知らなかったよ!なんで今まで見つけられなかったんだろう―

話を聞くと交際していた女性と肉体関係を持ったために、女性の家族が雇ったマフィアに追われている―というなんとも日本であれば江戸時代あたりの話か…と思ってしまうような背景を持つ20代後半の男性。半信半疑で話を聞いていたら、日本のヤクザと同じなんだ。居場所が見つかったら殺されるんだ―と。最初はイタリアに渡り、しばらくしてドイツへ。でも同じ飲食業でも北欧では圧倒的に賃金に差があることを知り、遂には北欧の、それもスウェーデンの最北の街のKirunaで働こうと決心してはるばるここまでやって来たという。

仕事はもう見つけているのかと尋ねると、これから探す、と言う。こんな北の街で屋外に放り出しておく人間はいないだろう、と。服装は半袖のTシャツに持ち物は小さなデイバックのみで、地中海地域からそのままやって来たようない出で立ち。まず列車から降りて街まで歩くのに大丈夫だろうか、とやや心配になる。が、社交辞令としての同情を示すだけでも、完全にお互いの距離感が違う位置で次の会話へと進んでいきそうになるのを感じたので、列車の乗り換えで指定席になったのを機に、幸運を祈って(I wish you good luck in your new life!)お別れをした。押され気味で交換したSNSを時折見てみると、彼の思惑通りどうにかやっている様子。

そんな最初の奇妙な旅でのめぐり逢いを終えて指定席に座っていると、一駅ごとに増える増えるスウェーデン人のトレッカーたち。列車内の網棚はトレッキング用の大きなバックパックで埋まっている。斜め向かいに座っているのはどうやらフィンランド人のカップルで聞きなれないメロディーで会話をしている。お、キートスは私も知ってる単語。女性の方は私と同じメーカーのトレッキングシューズを履いていて、あまり知らないので悩んで買った海外メーカー信頼を少し得られた。あまりにもその二人の飲むコーヒーが美味しそうだったので、たまらずにコーヒーを買いに行く。戻ってみると、ちょうど別の主要なトレッキングコースの出発点近くにある駅を通過したのか、大乗客は減っており、2人も空の紙のコーヒーカップを残して居なくなっていた。


 フィンランド人のカップルと、向かいには後に話をすることになるインド人のデイバック

 

インド人の方は、その前の込み合っていた時点から向かいに座っていた20代前半の男性で、日帰りの散策に行くにしても少ない荷物だなあ、となんとなく思って眺めていた人物だった。 膝の上には黒いデイバックが一つだけ。周りの人がいなくなったのをきっかけに、なんとなく、どこへ行くのかと尋ねてみる。目的地は同じくKirunaだった。けれど、彼はLuleåで交換留学生をしていて、その前学期に滞在していたイギリスから引っ越してきた後に使っていた残りのInterrailチケットでフラっと北に行く電車に乗ってみたのだという。ああ、Luleåは確かラップランドへと向かう列車の分岐点となる駅で聞き覚えがある。聞けば私が以前に訪れたことのあるスロベニアの首都リュブリャナにも滞在していたと言い、頭に浮かんでくる思い出について色々と話した。竜のオブジェが素敵だよね。あぁ、またいつの日か行けるだろうか。街中を流れるリュブリャニツァ川とその川沿いに連なるカフェ。入ったお店で日本人の女性に声をかけられたと思ったら、エホバの証人の会員の人で延々と話を聞かされたっけ…。2回目に行ったのはクロアチアのザグレブに住んでいた時。当時雇ってもらっていたオーナーさんに連れられて、アイスを食べにリュブリャナへ。いつも比較のために食べるレモン味のジェラードはとても美味しかったと記憶してる。あの時も川沿いの雰囲気がとても印象に残っている。庶民的な賑わいのあるザグレブのマルクト近辺とは違った、整った美しさのある中心部だった。

インド人と聞かなければ分からないほど癖のない英語で私にはとても助かったし、私が英語は実は苦手であることを話すと、こうやって会話ができるなら全てOKだよ、と言ってくれる言葉にほっとした。つい2週間前に引っ越してきたばかりだという彼は、今から長い夜の冬が少し心配だ、と話す。そんな言葉にいつまでも続く極夜のスピッツベルゲンの話をする。別の世界に生きている感じだよ。でも髪の毛が抜けるからビタミンDを取って、時々強い光には当たったほうが良いよ、と。Kirunaからバスに乗ってNikkaluoktaへと向かうバスへ乗る私と、街や教会を見る予定だ、という彼はバス乗り場のところで別れた。彼もアルメニアの先の彼と同じく美しい雪景色の中で友達と笑顔でいる写真を載せていたので、きっと元気にやっていることだろう。いくつもの都市に住んだ経験のある彼ならもともと大丈夫だとは思っていたけれど。 

 

とても新しくて清潔ではあったけれど、なんだか工業地帯の端に付け足されたようなKirunaの駅でバスに乗り換えて、ここからはNikkaluoktaへと向かう。念のためにストックホルムで両替はしていたけれど、インターネットで買っていたチケットもスマートフォンの画面を見せたら大丈夫で一安心。

さて、バスの終着地にはどんな光景が広がっているのか。

10.9.21

籠ること、拓くこと*クングスレーデン・ラップランド①

休暇を取るきっかけがなかなか掴めないうちに夏が超えてしまいそうになった。

本当は別に計画していた場所があったけれど、目標としていた場所の手前で、突如として私の目の前に深く広い湖が現れた。それまでは湖の対岸にはきらきらと光が差していて、きっとその場所こそが私の胸の奥にある羅針盤の差す方向だと信じて疑うことなく進んでいた。

だけれど、ある時私はその湖の向こうには到達することはできない、とついに悟った。上空には黒雲が立ち込め、風が吹き始め、もう私は進んでいくことができなかった。そしてきらきらと光るその対岸は、遠のき、霞んでいくように見えた。

 

もう進まないと決めてからも冷たい雨が私の心を幾日も降り注いで、周りの風は私の肌を切て通り過ぎていくようだった。むき出しになってしまった羽を休めたかった。

けれど同時に、新しい進路を見つけたくて、それまで費やしてきた時間が何かしら生産的な時間であったとどうにか理由をつけて自分に納得させたくて、藻掻く日々だった。けれど、藻掻くほどに心も身体はどこかに引きずり込まれていくような感覚があった。

 

人の心は簡単に壊れてしまうものだろうな、ということを初めて感じた日々だった。周りと自分の間にはいつの間にか緞帳が下ろされてしまっていた。それは他の誰にも見えない。精神を周りから切り離していってしまった友人や知り合いは私にも何人かいた。何か力になりたくても、話を聞いても、でも何もが満たされているあなたには分からない、という言葉をよくそんな人たちから会話の最後に浴びた。

私の場合はそれは絞り緞帳くらいだったと思う。それは揺れていたから、開けることができるものだということも感じることができたし、時折その僅かに開いた中央の隙間を通して、まだ私が他の人たちの同じ空気を吸って生きていけるということも理解できた。

その幕の中で生きていけばもう冷たい雨に当たることもないのかもしれないとも思った。とにかく救いを探して、本を読み、音楽を聴き、言葉を書き出し、絵を描き…。

けれど私は、外に行くことで自分の立ち位置を確認する、という生来から染みついた自分の習性に従うという方法も試さずにはいられなかった。

できれば人と生き方を比べる必要のない場所へ。途方もなく広く、本当に物理的に一人となって自分の心と向き合える場所。


目的地に決めたのは夏用に計画していた装備ではややぎりぎりのところではあったけれど、予てから行きたかった場所の北欧。

いくつかの都市には行ったことはあって、そのどこか余裕のある生活スタイルや、自然と調和のとれた都市景観も好きではあったけれど、結局のところ世界中どこにも理想郷のような社会システムを持った人間社会はないというのは、どうしても感じるようになっていたから、それよりも別のベクトルへと自分を世界から切り離せる場所が必要だと思った。

心に浮かんできたのは、私の心の一つの軸となっているスピッツベルゲンの空気。けれど、当時、スピッツベルゲン島やノルウェーでは、まだ強めの防疫対策が取られていて検査や隔離処置なしに休暇内に旅を終えられるかが不透明だった。

そんな経緯があって決めたスウェーディッシュ・ラップランド地方のクングスレーデンのロングトレイルの一部。ロングトレイルの中では整備された道ではあるようだったけれど、ヨーロッパではおろか、日本でも1週間近くの日程を一人でテントを背負って歩いた経験は私には一度もなかった。

 

装備をそろえて、目的地まで約2日間かかる列車に乗り込む。宿代がかからない分、夜行列車では一人部屋を予約した。

途中の列車の中で夜中に検札に来た若めの車掌が私のチケットをやけに長く眺めていたので何か不備でもしたかとやや不安に思っていると、目的地を指さして、「ここは去年家族や子どもたちとと行ってとても良かったよ。この季節は紅葉が素晴らしいと思うので、楽しんできてくださいね。」と。

たった一瞬の言葉であっても、良い旅を、というありきたりの祈りのフレーズに、ただ一言二言だけ自分の経験の何かが付け足されただけで、私の中でシャッターが押されて、その時の列車内の明かりや、毛布の手触り、私のその時の心境と共に、旅の中の特別な記憶として保管される。それは私の心がそれほどに疲弊していたから起こったことなのかは分からないけれど。



その夜、その車掌が去って行って、線路の上でまたがる2つの日の間を揺れながら思ったこと。

自分がどんなにからの中に籠っていようとも、もしくは毎日をやりすごすことができる心の状態であろうとも、こういう瞬間を記憶として留められる心を持っている人でありたい。そして、私自身も誰かにこういう小さな記憶として留めてもらえる人であれたら幸せだな、ということ。