暖冬だったある年の12月にベルギーを訪れた。
訪れたのはアルデンヌの森。
ベルギーの首都ブリュッセル近郊は比較的平地なので、フランスやドイツとの国境にまたがる丘陵地帯のベルギー圏(ワロン地方)に行くと、通信や人々の話す言語がほぼきっちりとフランス語に切り替わることもあって、まるで他の国に来たような感覚になる。
この三か国にまたがる丘陵地(Rheinsh Massif)はバリスカン造山運動(Variscan orogeny)の影響を受けた褶曲構造を持つ地域であり、古生代のカンブリア紀~オルドビス紀~シルル紀の地層を含む。
アルプスもそうだけれど、このような古生代の地層の名や褶曲の様子を見てみると、今の時代は環太平洋地域と比べるとはるかに地震が少ないヨーロッパも、形成された時代には激しい造山運動の影響を受けてきたことが想像できて、やはり同じ地球の上の陸地なのだと納得できる。
訪れたのは湿地と針広混成樹林を通る散策路で、各々の計画に合わせていくつかのルートを選ぶことができる。
私はゲントからの往復、また12月の日長時間が短い時期だったこともあったので10~16時の間で歩けるルートを選んだ。
散策路沿いには野生動物の観察小屋もいくつか設置されていて、時期やタイミングによっては初心者でも観察しやすいように思える。
私が歩いた時にはアカシカ、ノロジカ、ワタリガラス、イノシシが見られた。
ヨーロッパの多くの野生動物を楽しめる場所で言えることだけれど、日本のそのような場所と違い、野生動物ははるかに人間の気配に敏感であるのをここでもまた感じた。
場合によっては数十メートルの距離でも遭遇することはあるけれど、写真を構えて撮りたい場合であると、日本のそれ以上の望遠レンズがないとなかなか難しい。
私はそのような望遠レンズは携帯していないので、専ら双眼鏡での観察や目視で景色を眺めることがメインになっていたけれど、それはそれでカメラの中の目ではなく、自分のいる、動物たちのいる、『その空間』をそのままの倍率で自分の脳裏に焼き付けることができたようにも思う。
ヨーロッパで野生動物を観察する機会を持つようになってから、日本でのそのような場面での動物と人との距離との違いを思い起こして大いに考えさせられることが度々ある。
日本にいる間もしばし耳にしてきた『人間と近づきすぎた野生動物たちの末路』。
私の個人的な感覚ではヨーロッパでは野生動物と人との距離がそれほど近いとはあまり思えない。それはその陸地の広さ、つまり人間から遠ざかって行くことのできる非難場所があることが大きな理由だろうけれど、動物が積極的に人間と距離を取ろうとしているのを感じる。それはよく言われるような何百年にもわたる狩猟文化の影響なのか、日本と比較して林床植物の密度が低く見通しの良い森林や草原のためなのか分からないけれど。
日本で当たり前のように人里に降りてきて人慣れした動物を、それでも野生動物として見てきた私にとっては、その動物たちがここまで人間を避ける行動を見せることに時々少しショックを受ける。
おそらくそれは人間と野生動物との正しい共存の形なのだろうけれど。
一緒にハイキングをしたベルギー人曰く「その距離でしか向かい合えないこそ、見つけた時、出合った時の喜びや興奮がある。」。
本当に。実際に私もここで動物たちを目にした時、例えば北海道で車道のすぐ横にエゾシカやキタキツネを見るときとはまた違う興奮を覚えた。
それでも。
そこには人間がもう自然の中で生きる他の動物たちとは絶対に相容れることのできない明確な境界を引かれているようで、私の中にはどうしてもやりきれない悲しみが沸き上がってしまうのだ。
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