これまで過ごしたことのあるドイツとは違い、文化を売りにした観光地ではなく保養地という名がふさわしい土地だ。
家を出て10分もすれば湖にたどりつく。
ここから氷河地形の作った丘陵地帯の間の広い青空を映す水面は、どんな時も心を穏やかにしてくれる。
人口6万人ほどの街は旧市街は戦時中にすっかり破壊され、DDR時代に建てられた‘味気のない’街並みになっている。
けれど私は、この‛味気の無さ’、と中心部から徒歩でも20分とかからない水辺の緑あふれる景観との対比がなかなか気に入っていて、街にも水辺にも毎日のように歩きに出た。
湖の岸辺には小さな人工島があるが、ここには戦時中に水爆の実験工場が建てられていたのだが、現在は限られたダイバーが近づく他は水鳥の楽園となっている。
水浴はもちろんのことだが、カヌーや釣り、ビーチバレーなど水辺には様々なレジャーをする人々で毎日賑わう。
そのほか、特に旧東ドイツでは一般的だったFKK(Freikörperkultur)裸での日光浴が認められている場所がいくつかあり、はじめ何も知らずにその場所を散歩で通った私は大きな衝撃を受けた。
なんだか服を着て歩いている自分が恥ずかしくなり、そこに一糸まとわずに気持ち良く人たちが羨ましく思える不思議な感覚になった。
どこかで古くの日本もそんな文化があったということを聞いたことがある。
時間の流れというのはどこも同じはずなのに、時々陽の光を存分に浴びながら夜10時過ぎまで明るい夜をたっぷり楽しんでいる人々を見て、どこか自分が損をしているような気分になった。
体に浸み込んでいる体内時計、まだまだ季節の変わり目の急激な日長の変化にはどうにもなれることができない。
それでも時間は世界中同じように流れていく。
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