25.12.16

神話の世界*エフェソス・トロイ

自分の中での歴史の時間軸というのは誰にでもなんとなくあるものではないかなと思う。

私の場合は、ヨーロッパのそれをつい最近まで割と遠いところに位置付けていたので、ベルリンのペルガモン博物館で初めてその壮大な遺跡を間近で見たのは、その時間軸が大きく揺さぶられる衝撃的な機会だった。

それらと比べると、それまでの数年間で初めて日本を出てヨーロッパでとても昔のものと感じてきた建築物たちがいかに新しいものと感じることか。そして、そのような果てしない時代を超えて目の前にあるそれらの彫刻に、遠い時代に生きた人々たちを想像する。

トルコへの旅を考えた大きな理由の一つがその時の経験だった。
広大な国土のためにそのすべてを回ることはできない中で選んだ二つの遺跡。
エフェソスとトロイ。


トロイ遺跡はドイツ人考古学者シュリーマンが、、ギリシャ神話の『トロイの木馬』を歴史の事実として“こちらの世界と繋ぐこと”を夢見て発掘にこぎつけた、なんとも研究者魂を体現したような誕生秘話のある遺跡である。


周りには全く何もない野原の中の丘にある規模としては小さな発掘地。
それでもこの遺跡が持つ意味は、その神話や発掘までのストーリーを知ってしまうととても大きく感じる。



エフェソス遺跡はトロイと比べるとかなり大規模で一つの街である。
遺跡巡りに慣れていない私にとっては、道端にごろごろとそのままに転がっているそれらの一部も印象的だった。
野外博物館というよりは、あまりにも現実感が無くてむしろテーマパークのように思えてしまう。
それでも青い空と白い遺跡の数々。

 
 
 


やはり遠い異国の箱の中で見るより、そこにあるがままを見るということは、遥かに感ずるものがあった。




トルコでは観光地には猫である。
遺跡と猫。少し奇妙な組み合わせではあるが、穏やかな今と古代がここで平和に繋がっていることのひとつの象徴のような光景だ。

今この瞬間、人類の歴史を多く育んできた近隣の長い歴史を持つ地域では、今の平穏と神話の足跡が同じように破壊され続けている。
そうやって人の力や、あるいはそうでなくても自然の力で過去の遺物は壊されていき、その後の時代へと繋がっていかないものの方がこの地球の上にははるかにたくさんあるのだろう。







目に見えるもの、形あるものはいつか必ず終わりを迎える。
大切なものは心に刻み記録していくこと。
そういう風に生きていきたいと思った。

27.3.16

イースターハイキング*ドレスデン

中央ヨーロッパではキリスト教のイースターのお祭りごろから春の訪れを感じるようになる。
スノードロップ、スプリング・スノーフレーク、クロッカスから始まり、
日本では園芸植物となっているような野草が草原で一斉に芽吹く様子は、
特に自然相手の仕事をしていた私にとっては圧巻でしかない。



一方で、それまで短かった日照時間が急激に長くなり、慣れない私はこの時期は頭痛に悩まされる。
"Migräne"は和訳では単純に"偏頭痛"なのだけれど、ヨーロッパ地域の人いわく、かなり気候の要因が関係しているらしい。
実際、私も元来の頭痛持ちではないので、こちらの気象には疎いけれど、今のところはその推測はあながち間違いではないと信じている。


話は戻って、イースターは芽吹く小枝に卵のモチーフとうさぎがシンボルになる。


イースター休暇は人々はクリスマス同様、家族のもとで過ごすことが多いようだ。
天気が良ければ、みんなそろってハイキングに繰り出す。


でも、ここはやはりドイツ。
みんな集合したら出発前にまずゼクトで乾杯。
ほろ酔いになってきたところで、舌も滑らかにお喋りしながら出発。


途中の休憩はもちろんイースターのうさぎのチョコレートと大人にはリキュール。


私が気にいったのは卵黄とクリームで作られているEierlikör(アイアーリキュール)。
日本で言うならば玉子酒。ワッフルコーンに注いで、それごと食べる。
カスタードクリームにアルコールが入ったような印象。

この日のハイキングは老若男女総勢13人で距離は8km。
以前は一日中歩いていたらしい。

今は以前ほど近くなくなった親戚関係なのだそうだが、こうした年数回の交流で近況報告をしながら、お金だけではない助け合いができる関係を築くことが出来ているのではないかと思う、
と一緒に歩いてくれた60代半ばの人柄のうかがえる朗らかな笑顔の男性は話してくれた。



以前イスラムの友人と話していたとき、ドイツ人は交友関係が表面的で全てお金と書類でしか解決しない、と嘆いていた。
イスラム文化は私からすれば驚くほど親切な、逆に言えば私には距離感が少しつかみにくい、"密接な人間関係によってつくられる社会"だと思う。

文化の発展によって人間関係の価値観は変わってしまうものなのだろうか、と時々思うことがある。
でも、先の男性が言ったような積極的に関係を維持する努力、あるいは自発的なそういう感情。
結局、どんな人間にとってもその価値観はそれほど変わらないのではないのではないかなという楽観と願い。

23.2.16

静かな霧と琥珀の街*グダンスク


到着したのは午前6時。
街全体は暗闇と深い霧に包まれていた。

夜明け前のグダンスク駅前


その昔はドイツの占領下でDanzigと呼ばれていた街、ポーランド・グダンスク。
Ostsee(バルト海)に面したこの街は古くはハンザ同盟都市として栄えていたそう。
街の大きさは一日あれば十分歩ける大きさだろうか。



浜辺までは旧市街地から歩いて1時間半ほど。
運河沿いを歩くと霧の中の印象的な日の出を眺めることができた。
霧の向こうには青空が見えるから不思議な感じだ。
どこかで異世界に迷い込んでしまった気分になる。

浜辺まではトラムでも行くことが出来、夏場は多くの人で賑わうそう。

旧市街地の中心部


ライトアップが美しいネプチューンの泉

グダンスクは、タイムスリップしたような感覚になるパステルカラーの旧市街も有名だ。
夜まで治安も良く、様々な国の影響を受けた料理や土産物の並ぶ商店での買い物も楽しめる。



そして琥珀の街でもある。

琥珀の装飾品
 
琥珀博物館では、琥珀の成り立ちからモダンな装飾品までが並んでいた。
琥珀の生成の仕方や部位の違いによって形状や色がだいぶ異なるのだそう。
それを寄木細工のように組み立てたそれらは、個人的には自分の琥珀の見方を変えるのには十分だった。

小さい頃、お土産にもらった蟻の閉じ込められた琥珀の首飾りのことを思い出した。
約4,000万年という途方もない歴史の彼方に生きていたものの遺産と思うと、
ここにいる自分や、目の前の世界の存在をあれこれと考えてしまう。


琥珀の流れつくこともあるという少し黄味の強い砂浜に腰をおろしながら眺める静かな波間は、
3次元にも4次元にも心を揺らす。