世界って言葉は大げさだけれど、今日も私はこの世界で生きていかなければならない。 学んで、働いて、旅をして、誰かと出会って、泣いて、笑って… 現代はお金と時間と動ける体さえあれば文明の利器を使ってあっという間に世界を渡り歩けるけれど。 ほんの少し立ち止まって、その空間から少し深く何かを探しだして、書き留めておきたい。
28.12.15
神さま*イスタンブール
「神さま。お願い。
どうか、これが上手くいきますように。」
誰もが一度は思ったことがあるのじゃないだろうか。
多分、私個人的にには何かで理論立てて語れるような明確な神さまはいなくて、
どこかで自分の奥に向けられて発している自分だけの強い思いのカタチ。それが神さま。
ある年の瀬。
イスラムの国では毎日決まった時間に礼拝の声がスピーカーから鳴り響く。
未知の世界ってこういうことを言うのかと感じた時。
自分が何か見知らぬ祈りの渦巻きに飲みこまれていく。
私の中のどこかで、大きな世界情勢の中で、
「神さま=憎しみの正当性を証明するための道具」
のように無意識に捉えるようになってしまっていたその当時。
そんな未知の世界の神さまを中心に置く世界にいることは、
いつも以上にたくさんの神経を使った。
ちょうど世間はクリスマス。
初めてヨーロッパに降り立った時に、この世界に日本人は本当にいるんだろうか。
そう感じた不安を思い出すようなイスラムの国。
ホテルのフロントで「Happy Holidays!」と言われてギョロメを渡された時、
そんなふうに構えていた自分の姿がふと鏡に映るように分かって、ちょっと落胆してしまった。
重要なのは神さまがどうこうではなくて、目の前にいる人をしっかりと見ること。
神さまはいてもいなくても、信じていてもいなくても
本当は何も変わらないはず。
きっと。
9.12.15
見えないものを映す闇*スピッツベルゲン島
頭上には北極星。
それを中心にまわり続ける周極星。
太陽だけの季節の反対の闇だけの世界は、夏には見えなかったものを照らしだす。
例えばオーロラ。
それを見たのは初めてだった。
肉眼で見るのと写真で撮るのとではやはり違う。
その肉眼と写真とのギャップが被写対象として、そそられる要因であると思う。
それは一筋の雲のようで、でも時にあっという間に濃く伸びていき、空全体にたなびく。
分厚いカーテンのようなときもあれば、天の川のような薄っすらと見えるときもある。
いつも違うオーロラの出現の形、たなびき方、そして観察者の心境があり、それをどうにか撮りたくなるのだ。
滞在中の12月は月は山より上に見えることはほとんどなく、
天候が悪い日を除き、光に邪魔されず時間を問わず眺めることができた。
オーロラの出現状況がわかるライブカメラを見られるHPもある。
http://virmalised.ee/aurora-live-cameras/
最低でも闇の世界に1週間ほどいると、この世に光があるのが、不思議に、そしてかけがえのないものに思えてくるようになる。
もうひとつ光の世界にいたときよりも感じたの。
それは闇の中で暮らす人々の温かさ、だった。
場所:
スバールバル スバールバル諸島
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